寄付・募金行為にもバランス

東日本大震災で募金や寄付をする人も増えていると思います。


また仕事や商売でもチャリティとして活動をされている個人・組織・企業なども多いですよね。


それは大変立派なことであり、日本人として当たり前のこともあるかと思います。


ただ何事も行きすぎやバランスを欠いてまで、となってきますと問題にもなる場合があります。


もちろん募金や寄付自体に問題はなく、復旧・復興のためには喜ばしいことばかりです。


けれども、もう少し具体的・個別に次元を降りて考えてみますと、そこに何らかのアンバランスさが発見されることがあるのです。


たとえば、私自身も妻に言われたのですが(^_^;)、募金をすることもよいけれども、家計はどなっているのか、人を助けるそれほどの余裕があるのかと問われたのですね。


ここは難しいところなのですが、あまりの利他主義、自分の限度を超えすぎた寄付・募金という時は見直しも必要なのかもしれません。


自分や家族も養えない人が寄付をどんどんしていくのも、ある意味おかしな話となってくるのです。


たとえば生活保護を受けている人が、保護費からどしどし寄付して、結局「今月分のお金がなくなりましたので追加を支給してもらえないでしょうか」と役所に頼みにいくとするとどうでしょうか?


こんな人はいないとは思いますが、原理的には似たようなことになっている人もいるかもしれません。


自分のできる範囲で寄付や募金を行い、たとえば失業していて生活費にも事欠く有様でしたら、まずは就職する、仕事をすることで収入を得て、その後に寄付をするということが先決となるでしょう。


またお金で寄付や助けになることを考えるのではなく、自分のほかの能力や特質で貢献していくこともできると思います。


一気に大きなお金を募金するのではなく、毎月給料や収入分から無理のない範囲で少しずつするという方法もあるでしょう。(積み重ねれば大きなものになります)


大きな視点を持つことは自分たちの次元を上げるためには必要なことですが、その分逆に足下や具体的なものを確かにしていくことも同じくらい大切です。


自分や家族を安心させられなくて日本の安心や世界平和もないというものです。


いやそうでなく、まずは全体から変えていかないと始まらないのだという意見もあるでしょう。


ただ霊的にも自分の中が外の世界とつながっており、内なる(自己や身近なこと)平和は外なる平和と同調するという考え方があります。(もちろんその逆もあるのですが、後先では内が先というのが多いです)


今まさに自分ができること、自分ができる範囲というものを現実的に見極めた上で、自分なりの善意と救済方法を選択・行動していくことも大切かと思います。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

Top