タロットから思い浮かぶことは正しいのか。
昨日は「正義」と「悪魔」とネタをお話しましたが、どうも全体的に「悪魔」のカードについてふれると、皆さんの何かを刺激するようで(^_^;)、反響も大きいような気がします。
そんなことを思っていますと、まさしく「悪魔」のカードから、「どうだ、オレ様のことをもっと知りたいだろ?」とニヤリとしながら語りかけてくる気がしましたので、また「悪魔」のカードに関係する話を書こうかと考えています。
それから、最初に言っておきますが、私がタロットの特定のカードについてふれている時は、いわゆる王道的なカードの読み方や意味と少し違うということに留意してください。
どんな内容であれ、結局はすべてはつながるのですが、それは「王道」的な何か、つまりカードの表す元型的・根源的なものの説明や理解がないと、「うがった解釈」に見えてしまうことがあります。
またそうは見えず、逆に、「それこそが本質だ」と誤解してしまうこともあるのです。
ですからたとえば私の書いた「悪魔」のカードのことについても、「「悪魔」のカードってこう読むのが正しいんだ」と思い込んではいけないのです。
言ってみれば「こうも読める、こうも考えられる」と取ることです。
あなたの考える「悪魔」もあり、私の考える「悪魔」もあるのですが、そのどれもがある意味正解であるものの、やはり「悪魔」の表す根本的なものとつながる発想かどうかが重要ではあります。
カードの象徴の理解が知識的にない場合は、すべての出たイメージがOKとしがちですが、厳密に言うとそうではありません。
あなたがあるカードから発想しているものは、実はほかのカードの根源とつながってそれを見ていたという場合もあるのです。
こういうことがなぜ起こるのかと言えば、すべてのカード、特に大アルカナのカードは結局「別々であり、すべてでもある」からなのです。
一枚が全体を表し、また全部がそろって初めて本当の全体(完全)でもあるのです。
禅問答みたいになりますが、「正義にも悪魔がおり、悪魔にも正義がある」というようなものです。
ですからあなたがカードから思い描いた意味は、実は他のカードがもっともそれを表している場合もあり得るわけです。
この意味において、カードから得た直感だけではなく、知識の必要性も生じます。
この姿勢は実はタロットリーディングにおいて、非常に重要なものだと私は考えています。
では王道の読み方や根本的な解釈はどう学べばいいのかですが、やはりそれは講師から教えてもらう(厳密にはヒントをもらうことになります)のがスムースでしょう。
あるいはコツコツと独学の方法もできないわけではありませんが、それは道なき道を何度も迷いながら歩くようなもので、時には谷底や崖から転落する危険性、または楽しいお店(笑)で有り金巻き上げられる誘惑の中で進まねばならず、かなりの遠回りな道になると思います。
ただし独学でもあまり迷わない方法もあります。それは、ほかのもので元型を実はつかんでいるという場合です。
ほかのものとは、他種のタロットからということもありますが、それよりも、自分の今やっている仕事や、何か専門的に続けていること、ある特定の分野で非常に詳しい経験と知識を得ている場合です。
そういう人はタロットのことは知らなくても、たぶん私の書いていることは理解できる人でしょう。
「ああ、この人の言っていることは、私が学んできたこのこと同じことを語っているな」という感じです。
ということは、タロットを学ぶのには、実はほかのことをいろいろと知り、何かひとつでも深く学ぶことが有効だということにもなります。
結局、どの方法を通っても山の頂上にはたどり着けるようになっているのだと思います。
おっと、いけない、さすが「悪魔」です。「悪魔」のカードについて書く予定だったのに、いつの間にか別のことを書かれさてしまいました。(笑)
長くなりましたので、「悪魔」のことについては次回にて。
こんにちわ。またまた的外れな時期のコメントですみません。実に的を得ていますね。(あれシャレになった)すご~~く大きなヒントをもらった気がします。タロットを習い始めてから、物事を細かく分析できるようになってきた気がします。
分析はおおげさですね。いろんな角度から見つめられるようになりました(-^□^-)。
>terimuさん
タロットを理解するには、ほかのことも学んで、それをタロットに還元させていくのがよいと思いますね。
そうやって私もタロットにより、さらに整理をつけさせてもらっているような感じです。