前世説を疑ってみながら信じてもみる。

タロットカードを見ていると、いろいろと不思議な気持ちになったり、意外なことを思いついたりします。


そうした中で前世的なことを想起する場合もあります。


ただ、私がタロットを見ていて人の前世を思う時、一般的に言われるような「前世」と「今生」のつながりではないような気がしています。


だいたい皆さんが「前世」ということを想像すると、「自分が過去生でこれこれを経験した」「このような人であった」・・・と、一人の自分の個性が人生を繰り返し体験してきたというように思われるでしょう。いわゆる輪廻転生説です。


しかし本当にそうなのかどうかはわかりません。(記憶がある方もいらっしゃいますが)


もしかすると、自分の前世だと思っていたものは、誰かの過去生だった可能性もあると考えてみると、一般的な前世概念が崩れます。(これは以前にも書いたことがあります)


自分の人生の記憶というものがどこに存在しているのか、これもたとえ輪廻転生説を受け入れるとしても、ひとつの場所(魂)だけではなく、様々に考えられることになります。


いわゆる「魂」に刻印されるのだという考え方が多いかもしれませんが、人は死ぬ時に記憶を空中に離散させて空間内に留めることも空想できますし、他の動物や、時には昆虫・植物・鉱物にまで記憶を移管させることもあるいは可能かもしれないと思うこともできます。


そもそもひとつの魂が何度も生まれ変わるとするのなら、人口が後世になると極端に増加するのですから、魂の数が足りなくなるでしょう。


動物など、ほかの生き物の魂が昇格するか、別の星の生命体の魂が来るとか考えないとつじつまがあいません。


そう考えると、実は魂というものはひとつではなく、他人にも共有されるものではないかと発想することができます。


ただこれは無秩序に偶然他人と共有されるというものではなく、何らかの規則や関連性をもって、人の記憶(魂が分化されたものと言ってもよいかもしれません)が自分のものになるのではないかと考えられます。


その法則がいわゆるカルマと呼ばれるものかもしれません。


だからといって、前世が全く無意味だということを言っているのではありません。


私が強調したいのは、結局自分の魂もほかの誰かとつながっている、あるいはほかの人の(経験の)複合体でできている可能性があるので、孤独ではなく、他への責任がそれなりにあり、また自分を救うことは他者の(魂の)救済にも必然的につながるのだということです。


そして今生で出会う人たちにも意味があり、その人たちもそれぞれ多くの魂を抱えながら複合して現世での「個性」として自分を生きていると想像できます。


だからたくさんの人と関わり、自分も他者も、よりよく生きていくことを願い、行動していけば、それだけあなたは多くの魂を救うことになるのです。


これは大きなことをしなくてはならないと言っているのではありません。ただ普通に、今の人生を大切に生きるということを語っているのです。

コメント

  1. tealeaf より:

    同感です。ネットでどっかのサイトに接続されてるような状態であるだけ、かもしれません。それ故か?ダライラマは仏教の縁起、因果の解説で使用される前世という「大切な概念」について「前世を信じなくても、慈悲を重んじれば仏教徒だよ」言っています。

  2. >tealeafさん
    コメントありがとうございます。
    >「前世を信じなくても、慈悲を重んじれば
    >仏教徒だよ」
    私は仏教について多く勉強したわけではありませんが、これはまた深い言葉ですね。前世を信じて救われる人もいれば、気にもせず普通に生きていく人もいる。どの人生であっても慈悲の心が大切なのでしょうね。

  3. タロット太郎 より:

    前世のあるなしを問うこと自体に本質的答えはないというところですかね。あくまで概念としての前世。

  4. >タロット太郎さん
    あくまで私の考えなのですが、タロット太郎さんのおっしゃる通りですね。
    ただヒプノセラピー・前世療法で実際に個人として前世があるように記憶している人もおられるようなので、何とも言えませんが。
    私は存在そのものよりも、そう仮定することで救われたり、症状が楽になったりすることに意味があると考えています。

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