タロットで物事を選択すること。

人は生活をしていく中で、判断に迷うこと、選択に悩むようなシーンに置かれることは多いものです。

こういう時、タロットが役に立つ・・・と思われているようですが、私の考えでは、これはそうと言えるところもありますし、そうでもないとも言えるのです。

占いでも、タロットは「卜占(ぼくせん)」の分野として、偶然出たものから何かの判断をつけること、選択を提示することには適していると考えられており、実際そのように使われることは普通です。

ここで、二択、三択など、複数の候補から何かを選ぶという問題で、それをタロットで決めたいという時、その選び方の基準がどうなのか、どうなってるいるのかを冷静に考えてみると見えてくるものがあります。

結局、そのような場合、タロットカードに何らかの良し悪し、優劣を設定いるから判断できるものだと気づくでしょう。

ではその良し悪しの基準は何なのか? とさらに見ていくと、カード自体にある良し悪しなのか、カードの絵図・意味から推定される良し悪しなのかということになってきます。

カード自体にある良し悪しとは、タロットカードのシステムや伝統性に基づいて象徴されている(決められている)意味合いのようなものであり、カードの絵図・意味から推定される良し悪しとは、そのままカードの絵柄を見て出てくる感覚、意味から判断される良し悪しです。

前者と後者は似ていますが、前者が最初から「ある基準」で統一されているのに対し、後者は感覚的なものも含みますから、流動的な基準になることがあるということです。

そして後者の場合は、タロットリーダーの人間的判断が多分に入りますから、そのタロットリーダーの持つ価値観に影響されることが強いのです。そのため判断の度に、ぶれることがあります。

まあ、タロットというものはほぼ主観に基づく判断になりますので、個人的価値観が入るのもむしろ当たり前のことで、悪いわけではありません。

前者の場合は、タロットリーダーの感覚はあまり関係なく、ある決まり、法則によって判断されるので、ぶれることがありません。

ただ、画一的になりやすく、その決まっている法則・基準が、どのモード(世界観・ルールの背景)で決められているのかを知っておかないと、出す判断には、クライアントには合わないことがあります。

普通、私たちが何かに迷い、それでも決めなくてならない時、何らかの価値基準・ルールに沿ったもので判断します。しかしその基準が、一人の人間の中で複数あるからこそ悩むのです。

例えば、お金・経済・数値の基準、好き嫌いとか快・不快、気持ちの基準、時間的(短期・長期など)基準、合理性・多数・平均化の基準、人情・義理などの基準、見栄・プライドなどの基準・・・数々あるわけです。

これらが複数絡まり合うのが「人間」ですから、判断に迷うことになるのです。

タロットの場合は、そのシステムによって、カードに最初から基準や意味が決められています。ですから、この場合は合理性で行くべき、お金や経済基準が中心、気持ちが主要な選択基準・・・と出たカードで判断できるのです。

人が生活シーンで迷う主要因は、タロット的には4つの分野に集約することができ、すなわち、裏を返せばこれは4つの基準ということになります。

この4つの基準が明確なのは、タロットにおいても小アルカナというパートになり、従って、小アルカナを使うことは、私たちの実際(生活・現実の人生)の悩みに、その時々で基準や判断を示してくれるのには向いていると言えます。

一方、タロットには大アルカナという絵柄のついたカードたちがあり、このカードは絵柄があるために、イメージで読みやすいのですが、反対に、いろいろな意味も出てきて、いわば抽象的な世界観を表すようになります。

カードシステムの基準ではなく、あくまでカードの絵柄から判断しようとすると、このように多様に読めてしまうカードにあっては、判断もまさしく多様になり、かえって決めにくくなることもあるわけです。

そのため、タロットの世界ではスプレッド(展開法)を決め、カードを置く位置、またはカード自体のポジション(正・逆)によって、良し悪しを判断する方法が確立しています。

ということで、大アルカナ、小アルカナ、どちらか、あるいは両方使う場合にしても、タロットでは、判断を下せるような読み方・方法があるので、最初にも述べたように、占いなどのシーンで、迷いの決断に使われることが多いのです。

と、ここまでいろいろと書いてきましたが、もしかすると、何人かの人は気づいたかもしれません。

カード自体に良し悪しの基準があったとしても、出たカードを感覚的に読んで良し悪しを決めるにしても、カードに従うのが正しいのかどうか?と、そもそもの疑問に思う人・・・

また、「カードは、確かに今の判断に重要となる基準・観点は示してくれるかもしれないが、自分としては、ほかの基準も大事なように思えたり、見たカードの感じが、タロットリーダーの言っているものとは違うように感じたりする」という人もいて、カードの、あるいはそれを見てのタロットリーダーからの判断が、素直に納得できない(何かもやもやする)という場合もあるのでないか考える人・・・

そうなのです。そのような疑問を持つのも当然と言えば当然なのです。

これはタロットに限らず、カードやモノで何かを判断すること自体の信頼性の問題にも関わります。

ここまで疑問になってくると、もうカードを使った判断をするのには関わらないほうがよいかもしれません。まあ、そういう人は、そもそもカードに関心も抱かないとは思います。

しかし、タロットに興味があり、タロットの学習とその活用を望む人の中でも、こうした疑問を抱いてくる人もいると思います。

そして、この記事の最初に戻るのです。

何かを決めることに、タロットが役に立たないこともあると書きました。

そう、タロット(マルセイユタロット)は、何かを決めることには向いていないというか、そういうものの使い方ではないと、今の私は考えているところがあります。

もちろん、長々と説明したように、タロットによって決める、決めることができるという「世界観」「ルール」のようなものは確かにあります。

しかし、決めることを補助するというタロットの使い方ではないものもあり、そのほうがタロット活用の本質に近いのではと推測しています。

その意味について解説すると長くなりますので、タロットの講義や、別の機会に譲りますが、簡単に言えば、「迷い→決める」というプロセスそのものに意味があり、決めることを目的とする考えではないということです。

いやだからと言って、人生において、決めることの意味はないと言っているのではありません。

実際場面(現実問題)では、決断しないとならないことは、仕事やプライベートにおいてもたくさんあるのが私たちです。

そしてその決めたこと、決断したこと、選択したことによって、人生が大きく変わることがあるのもまた事実です。

そういった現実においての選択の重要性を見て、できるだけいいと思える方向を示唆するのも、生きる術のひとつでしょう。それにタロットというカードを使う方法もあるわけです。

その一方でまた、人(人生・現実)を違う見方で俯瞰するような視点もあり、そのためのツールとして、タロットが活用できる場合もあるのです。

必死になってよい方を探す道(そういう時)もあれば、「どっちでもいいや、出した決断には責任は持つけど、楽しんで行こう」という、旅人のように考える時もあるのが私たち人間であり、そのどちらにもマルセイユタロットは使えるものなのです。

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