「運命の輪」の回転の示すもの

タロットの「運命の輪」のカード。

絵柄も面白いですが、その名も面白いですよね。

どのカードも深淵な象徴性を含みますが、このカードもしかりで、いろいろな意味が見出されます。

そして、そうした様々な象徴性の意味において、まさにその名のごとく、「運命」に関係するものが、このカードにはあると考えられます。

皆さんも結構、「運命」のお話は好きなのではないでしょうか。(笑)

では、今日は、このカードをもとにしながら、自分の運命を変えていく視点をご紹介しましょう。

ただ、一口に「運命」と言っても、「運」と「命」という言葉に分けられるように、「運」という運ばれるもの、運ぶもの、いわば変えられる部分と、「命」と書くからには命というか、絶対感のあるもの、つまりは変えられない部分とがあると言われています。

ここでは、どちらかと言えば、「」のほうに焦点を当てていると考えてください。

さて、私たちは「現実」の中に生きています。

しかし、映画「マトリックス」のモーフィアスの言葉ではないですが、「現実とは何か?」と深く考えますと、よくわからないところも出てきます。

ややこしくなるので、今は「現実」の定義の論議はしないことにしますが、とりあえず、“現実”には皆さんが共通に認識している「現実」と、一人一人が思っている「現実」とがあると仮定します。

ここで問題・テーマとなるのは、後者の、一人一人が思っている「現実」です。

これは簡単に言ってしまうと、「自分がそうだと信じている思想・ルールが、外側の現象に投影されているもの」と考えることができます。

もっとシンプルに言い換えれば、「自分が信じている世界がその人の現実」ということです。

ということは、信じているものが変われば、自分の現実は変わると言えます。

そこで、「運命の輪」です。

例えるなら、一人一人の信じている「現実」が、これまた一人一人が回している「運命の輪」です。

この輪の回転は、当然、一人一人違うもの(回転のスピード、輪の大きさ、回るタイミングなど)です。

「出会い」で言えば、この輪(の回転)がシンクロ(一瞬一致)した時に同調して発生すると考えられますが、そのことは今日の話とは別なので、またの機会にお話します。

いわゆる「運がいい」「うまく行っている状態」などと見られる人の「運命の輪」は、「運が悪い」「苦労ばかりだ」という人の「運命の輪」とは異なっているわけです。

さきほどの話で表現すると、信じている世界(その人の作るルール)が違うのです。

最初は共通認識で同じように見えていても(信じていても)、やがて、自分の経験することの解釈によって、自分ルールができて、それを通して見た世界(自分フィルターを通して見た世界)が作られていきます。

輪の回転が変わってくるというか、一定のもので固定されていくと述べてもいいでしょう。

なぜ、個人差でそうなるか(そもそもの経験(運)自体が違うこと、同じ経験をしても解釈やとらえ方が違うこと)は、「命」の問題があって、カルマとも無関係ではないと考えられますが、それは置いておき、ともかく、自分らしい「輪」に固まってきて、結局、自分自身が「運命の輪」を回して、自分の思う世界を創っていくことになるのです。

ところが、輪は、スピード、大きさなど、変えていくこともできるのです。

要するに、自分の信じているルール、世界観を変えれば、輪も変わり、輪の回転によって生み出される、まさに「運」(自分と人・物事との関連性の実際とその解釈)の運ばれ方も変化するわけです。

自分の信じていることを変えるためには、実社会の経験も大切ですが、「考え方・感じ方」なので、結局それをチェンジする思考・感情のバージョンアップ(浄化・変容)ということが重要になってきます。

しかし、なかなか長年の習慣で固定されてしまったものを変えるには、それなりのインパクト、あるいはコツコツとした修正が必要でもあります。

ここまでは、タロットの「運命の輪」のことを知らなくても、スピリチュアルとか精神世界とか、心理関係を学んでいると、聞いたことがあるような話ではないかと思います。

実は、重要なのは、次です。

こうして、自分の信じる世界観・ルールを、言わば破壊して、新しい自分に変化・上昇していくことが、すなちわ、自分の「運命の輪」の回転を変えていくことにもなるわけですが、そうは言っても、どうしても自分の信じる世界で壊せないものが残ってきます。

または、壊してきて(変化させてから)も、あるところでどうしても止まってしまうものと言ってもよいです。

いや、それさえも壊すことができるといえばそうとも言えるのですが、ここで言いたいのは、自分の思いで変えたくないものにポイントがあるということなのです。

あえて言えば、どうしても「こだわりたいもの」とでも表現できましょうか。

これはタロットでいえば、「運命の輪」の「10」という数からひとつまた前に戻って、「9」の「隠者」で探究するものと象徴してもよいかもしれません。

ともかく、壊そうと思っても壊せないもの、回転を変えたと思っても、また戻ってくるもの、自分の中で別の輪として回り続けているもの・・・これらに注目すると、マルセイユタロットの「運命の輪」の描写の不可思議なところ、謎についても、少しわかってきます。

日本語の表現は面白いもので、「現実・げんじつ」は、「幻術・げんじゅつ」と響きが似ています。(笑)

私たちは自らを幻術にかけて、現実を過ごしている存在なのかもしれませんね。

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