タロットと三角構造、そして現実。

今日もタロットのカードの中の構造の話になります。

私が中心に使っているマルセイユタロットは、ホドロフスキー・カモワン版マルセイユタロットです。

このタロットの特徴は、極めて精巧に作られているその図像にあります。一見しただけではわからないのですが、その精密さを知ると、大きな驚きと敬意が起きます。

言いたいことは、単にタロットの印象からだけのものではない、絵の(緻密な)構図や像の秘密があるということです。だからこそ、タロットを見る側の観察眼が向上すればするほど、このタロットはさらに奥深い意味を供給してくれることになるのです。

そういうものの中に、三角構造というものがあります。

これは、カードによっては、三角の位置関係を強調しているものがあるということです。

実は、マルセイユタロットの精密なタイプのものは、幾何学的構図をもとに、精巧な計算によって製作されているため、円や正方形、三角形(その組合せによって生じる図形)など、古代象徴のうえで基本となる重要な図形は、タロットに取り入れられているものです。

ですから、三角形も、マルセイユタロットのどのカードにも見られる図形ではあります。それでも、特に構図的な強調されているカードがあるわけです。

三角形には上向きと下向きがあり(厳密に言えば、それだけではありませんが)、形で書けば▲と▼です。

上向きのもの▲は、いわゆるピラミッド型で、上に行けば行くほど、範囲が狭くなり、最終的には一点に集約されます。逆に下向き▼は、上側が広く、下側に向かうほど一点に集中していくものになっています。

▲、こちらのほうは、おそらく人類の歴史の中での基本構造ではないかと考えられます。

宗教的にはカースト制度のようなものもイメージされますが、要するに、より少ない上部者と、その他大勢の層の者たちという構造で、上に行くほど数が少なく、しかし権力は上がるというものです。つまりはヒエラルキーの世界です。

端的に言えば、経済原理の社会構造と言ってもいいかもしれません。また、経済だけに限らず、どの分野にしろ、この上向き▲構造が支配原理として息づいていると考えられます。

逆に言えば、この構造が意識される時、もっと言うと働いている時、支配(点から面へ、つまり一部と多数の支配構造)は確立されるということです。

学校のクラスでも、会社の組織でも、スポーツの団体でも、学びのシステムでも、宗教の組織においても・・・とにかくこの▲が見られるわけです。

では、反対の下向きの▼はどうでしょうか。上に行けば行くほどたくさんになり、広くなるシステムです。多くの人が少ないものをコントロールするみたいな感じですが、多数決などはこの原理にあるのかもしれません。

しかし、▼によるシステムと言いますか、支配構造はなかなか思い浮かべるのは困難ではないかと思います。

企業システムのあり方として、逆ピラミッド型構造の▼は、上司や上部的な人が、多くの社員や部下が顧客のために応えやすい環境、体制を整えるような組織として現場の意志決定権も移譲し、トップタウン的な命令型から、少ない層が多くの者を下から支えるようなサポート型に回るような意味で言われることもあります。

それでも、やはり組織そのものとしては、ピラミッド型・ヒエラルキーのある型が普通でしょう。

結局、私たちは現実の生活において、このように様々なところでヒエラルキー・ピラミッド型の▲構造に、実際、支配されているところがあるわけです。しかも無意識にもそうされているところがあります。

無意識というのが重要で、最初は形(組織)として▲構造の中にいるだけだったのが、いつのまにか、心の中にも▲構造が築かれてしまい、無意識のうちに、▲の中に自分を収めないと安心できない心理構造にさせられているところがあるのではないかという危惧です。

もし、自分が▲の下のほう、被支配者的な立場というものを強く意識した経験があるのなら、心の中にもそれが刻印され、自分は▲の下の者でしかないのだという洗脳状態にもなって、どの分野の組織に所属しても、自分は下の者だ→下でいいんだ→下でいるしかない→(自分が上にいるための)もっと下の者はいないのか下の者を作る・・・という悪循環的な罠にはまってしまうことにもなりかねません。

また、たとえ「下の者トラウマ」がなかったとしても、▲構造の意識や現実組織がたくさんある限り、上やトップを目指すという意識が芽生えるのは仕方のないところです。そして、上に行くほど支配ができる、楽になる、自分の思い通りになる、多くの資源(人間も含む)を利用できるという心理にもなってくるでしょう。

ここで、鍵となってくるのは、▲構造意識の変換です。それは逆向きの▼にポイントがあると言ってもよいのではないでしょうか。

さきほど、▼の組織は想像しづらい上に、現実的にも存在しにくい話をしましたが、形のうえで▲であっても、意識のうえでは▼を作ることで、新しい意識と組織が創造できる可能性があると考えられます。

それは、結局、ミクロとマクロの関係(の見方の統合)に帰する気がします。モノの見方の転換と言ってもよいでしょう。

シンプルに言ってしまえば、▲と▼の構造が同じであるような意識の形成です。

上に行けば行くほど、少数となるのが▲ですが、これは上の一点に集約されて行きますからミクロ的方向でもあります。しかし、上に行けば行くほど拡大されるというものを考えると、マクロ的にもなります。

ここで気化という現象を考えましょう。

気化は言わば空気化するようなもので、例えば水が気化するとすれば、水蒸気になって空気中に含まれて見えなくなります。水が細かい(小さい)粒になっているわけですね。しかしミクロな粒子として水は存在してはいても、拡大したかのように空気となっているので、空気の一部として見ればとても大きさ存在(マクロ的存在)になっています。

内的な表現で言えば、階層が上がる度に、意識が拡大されていくというものでもあります。

それは全体に飲まれるのではなく、一人一人独立した意識を持ちながら、全体として連繋し、集合的なネットワークを形成しているシステムと言えましょうか。ああ、こういえば、PCとネットシステムに近いかもしれません。

また、ちょっと違うのですが、アニメの「攻殻機動隊」という作品では、スタンドアローンコンプレックスという、孤立しつつも複合体になっている意識というものが描かれていました。これはコピーによる支配も生み出す危険性もあるのですが、従来のピラミッド型・ヒエラルキー型組織に一石を投じるもののような気もします。

▲と▼を合わせると六芒星になるのがわかります。その六芒星の周囲に線を引くと六角形になり、円に近い図形になります。

六芒星の象徴的特質として、結合や統合、連繋という意味が見いだせます。タロットの図像にも、▲と▼の両方が描写され、その結合が示唆されているものも見えます。

目的や課題が六芒星の中心にあり、それに向かって、情報を共有しながら、周囲が知恵を出し合い、適切な働きかけ・行動を、各々と組織全体が行うというシステムというのが見えてきます。

こうしてみると、私たち自身を苦しめているのは、まさにほかならぬ私たち自身にあるのだと気がついてきます。正確に言えば、私たちの(個人と集合の)認識力の問題と言えるでしょう。

構造(形・現実そのもの)が悪いのではなく、私たちが今の現実を事実的な現実として認識させている、私たちの中のモノの見方(認識力・思考と感性の集合力)に問題があります。

いわゆる「悪魔」は内にあり、その投影されたパワーが外在のものとして(実際的に)現れていると表現できるかもしれません。

少なくとも、▲構造の支配原理に気がついていくこと、▲の中に▼を見出すこと(その逆もまた真なり)が、従来の認識のままでいることからの脱却につながるヒントになるものと、マルセイユタロットからもうかがえるのです。

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