自尊と他尊のバランス

他者を尊重することと、自分を尊重することは、とても大事なバランス(ポイント)だと感じます。

よく人の役に立ちたいと思う人、そしてそれを仕事にしたいという人で、他者への尊重は大きいのに、逆に自分を卑下してしまっている人を見かけます。つまりは自尊の問題です。

私もどちらかといえば、後者の部類(自尊のバランスが悪い、低いほう)なので、その状況や気持ちはよくわかります。

ただ、これもそのタイプの人には耳の痛い話ですが、他者を尊重しているようで、実は、自我が強く、その欲求を抑えていたり、逆に自分を卑下することで、自分自身の真の力の発揮や、責任から逃げているところもあるのです。

マルセイユタロットでいうと、きちんと「正義」の判断が下された場合、自分のほうに天秤が傾くような感じで、結局のところ、自分かわいさ、プライドを守りたい、依存心、みたいなところが奥底にはあると考えられます。

と言っても、ここでまた自分を責めても仕方ありません。その責めること自体、意外かもしれませんが、自分を守っていることと同じな場合があるのです。

例えば、自分が悪いと思うことで、「どうせ自分は・・・」みたいに思い、できないことの理由を、対外的に作りあげてしまうわけで、結果的には逃避や、問題を放置したりすることと同意になります。

これは「運命の輪」と「正義」が(悪い意味で)合体したかのような、仮の責任所在を自分に帰すことで、堂々巡りを起こしてしまい(潜在的に起こしてしまい)、その回転の中で、自分が逃避し続けるという、実は高等テクニックです。(笑)

ここで必要なのは(象徴的なカードは)、「力「と「悪魔」です。「節制」としての交換バランスも必要かもしれません。

※マルセイユタロットは単体の象徴性もすばらしいのですが、このように、カードを組み合わせることで、問題の解決やヒントを生み出すことに大きな視点と効果があるのです。

もともと、自尊が低い人は自我が弱いようで、実は強いと、さきほど言いました。自我(エゴ)が強いというのは、「悪魔」のカードと関係します。

ただ、こういう人は善人であることが多く、またそれだけにナーバスで、人の目を気にしたり、人の気持ちに敏感だったりします。

従って、強い自我が、自分のほうにベクトルが向かってしまい、ますます強固な殻に入って意固地になることもあります。カードで言えば、「吊るし」(の問題)状態です。

ここで、もともと「悪魔」との結びつきが強い「自我」そのものを、「悪魔」(の認識)によって解放させ外に向けて、自我を出すということで、バランスが回復してきます。

それには、「力」のカードに象徴されるように、自分で制限していたフォース(力)を少しずつ、自分のものとして取り戻すことです。

もう少し具体的に言えば、自分がよくないと思っていること、悪いと判断しているもの、毛嫌いしたり、それはちょっと無理と思っていたりするものに、あえて少しずつやってみる(その前には、本当に悪いものなのかどうか疑ってみる)ということがあげられます。

いわば、自分の影やダークとしての自我の部分をちょっとでもいいので、表現してみる、認めることから始めるわけです。

ほかには、自分をいつも以上に、ことあるごとに褒めたり、自分がやっているサービスにお金などの価値でもっと受け取ったり、自分が少しでも得意なもの(それは善悪とか、社会的価値での良し悪し、役に立つ立たないの基準で見ずに)を伸ばしてみたり、没頭したりするということでも、力(フォース)と自我を外に解放していくことができます。

またタロットを学習して、タロットリーダーになり、思い切って料金をいただいて、人にサービスをし、相手に喜んでもらって、自分の価値をお金と言葉で受け取るというのも、自尊バランスを回復させる手立てのひとつとなります。

人にあなたのエネルギーを無償的に与え続けて、(その)人から評価されることを望んでいては、いつかあなたのエネルギー枯渇します。

枯渇すると、当然疲弊し、ヘロヘロになってきますので、体力や経済的な問題、運気の問題にも影響してきます。

人はそんなあなたを見て(感じて)、魅力的には映らず、関心を失ったり、去ってしまったりする場合もあるでしょう。

それを引き留めようと、またエネルギーを出し続けようとするので、かえって、自他ともにダメな方向に進んでしまいます。これは恋愛などで、尽くしすぎる人などに多い現象ですし、セラピストで起業された人などにも、少なくないことです。

エネルギーも、宇宙的なものとつながる境地まで達していると(マルセイユタロットでは「星」や「世界」で象徴)、それは枯渇することがないので、むしろ、多くの人が癒され、エネルギーを受け取り、好循環で、出した人にも戻ってきます。

ここまで来ると、物質的なものと精神的なもののエネルギーの枠がはずれていますので、それぞれの交換(変換)も可能となり、物質的豊かさとしても享受することが可能になるでしょう。

ただ、自尊と他尊のバランスが未熟であり、特に自尊が低い状態でいますと、逆に自我が自分の内側の方向性で強まって、固い殻に入ったかのようになって、エネルギー循環から隔絶された世界になってしまいます。

むしろ、波動レベルを下げて解放的にし、大衆的エネルギーによって、殻を破ってもらうことも考えないといけません。

それは、つまり、自我・エゴとしての自分が、よい意味で外向きに強まることであり、「悪魔」の力(対人的魅力)が出て、自然に皆さんが注目することになり、殻から出てきてほしいとせっついて(笑)来るようになるからです。

そうして、殻は破られます。

他者のことを尊重できるなら、同じ性質は、神性として、あなたの中にもあります。誰より、他者を認める力があるのなら、あなた自身の力を認められない(発見できない)わけがありません。

そして、自分を認めると同時に、今まで本当に自分は他者を見ていたのだろうか、他者を尊重していたのだろうかと、もう一度振り返ってみる必要があります。

もしかすると、あなたの他者への尊重は、純粋なものではなかったかもしれませんし、別の部分を見ようとしていた可能性もあります。

それはやはり、自分の尊重が本当の意味ではまだまだてあったこともあるでしょう。

ひとつの気づきがあったとしても、その後も、そのバランスは拡大と成長をもって、さらに大きなものとなっていくはずです。

ゆえに、これで完璧という段階はなく、いつも内には完全性を持ちつつも、新たな気づき(覚醒)をもって(それは問題という形で事前に起こる)、人間として成長し続けるものだと思います。

その重要な要素に、自尊と他尊のバランス・統合があるのだと考えられるわけです。

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