回り道の中の抜け道

記事タイトルから、「運命の輪」のカードを想像した人もいるかもしれません。

確かに、今回は「運命の輪」(マルセイユタロット)に関係する話ですが、おそらく普通に教えられるそのカードの話とは、また少し違ったものになると思います。

ところで、あなたは、悩んたり、迷ったりしている時、どんな状態になりますか?

言ってみれば、多くの人は、輪の中でグルグル回っているような感じになっているのではないでしょうか。

あれでもないこれでもないと選択肢の多くを想像したり、反対に、何をどうすればよいのかわからなくなったりして、右往左往してしまう・・・こんな状況です。

もちろん、考えているだけではなく、行動に移す人もいるでしょうが、それでも、あちらへ行ったり、こちらで聞いたりと、迷っている時は、文字通り「迷っている」のですから、なかなか答えや突破口、進むべき道が見えてこないものです。

その意味では、マルセイユタロットで言えば、「運命の輪」の中に閉じ込められているとも言えますし、「吊るし」のように、吊るされ(本来は自分から吊るすのですが、吊るされていると感じること自体が問題状態と言えます)ペンドしている状況とも取れます。

「運命の輪」で言えば、輪の中の動物、犬と猿と言われますが、その二匹が入れ替わって、輪の中で回りながらでもがいている様子でもあり、その入れ替わりは、要するに対立要素や別々の選択肢、性質、エネルギーなどを象徴しますが、結局、直線でいえば、左右どちらへ行っても逃れられない、堂々巡りの罠にはまっているようなものと言えます。

ここから脱出するには、輪の上にいる動物、スフィンクスとされますが、その動物になることが鍵だと、このカードでは伝えています。

このスフィンクスになる状態とはどういうことかについては、これも人によって解釈がまちまちなので、言い換えれば、それだけのたくさんの方法があるとも言えるわけです。

今回は、あまり(「運命の輪」の解釈としては)一般的ではないけれども、おそらく皆さんも経験があるようなことで指摘したいと思います。

何かに悩み、迷う時、私たちは先述したように、いろいろな考え(自分と他人の考え、情報など)を思い浮かべ、条件や、損得、感情の満足・不満足など、様々な要素を混合し、時には誰かに相談したり、アドバイスを受けたりして、自分でいいと思う選択肢を実行したりします。

それでも、悩みの解決にならず、その巡りを、内面(思考と感情、つまり心の内)と、外面(相談したり、考えを実行したりする外部への働きかけ)にわたって繰り返すことになります。

ということは、「運命の輪」で言えば、この輪の中を、何回も何回も回り続けることをしているようなものと言えます。

何度も犬になり猿になり、回転を続けていくわけです。

すると、デジャヴのような、また同じことをしているなあとか、以前も似たようなことをやったなとか、私、いったい、何をしてるのだろうとか、ふと、不思議な感覚にとらわれる瞬間がやってきます。

犬でもなく猿でもなく、まさに我(自分自身)に返る瞬間とでもいいましょうか。

その時、ゆっくりと周囲を見渡すと、今まで見ていた景色が変わっているのに気づくことがあります。

もっと言うと、今まであせったり、悩みに集中し過ぎたりしていて、何も見ていなかったことに気づくわけです。言い方を換えれば、悩みや迷いという、ある種の想像空間に自分が閉じ込められていた、いや、自分を閉じ込めていたことに気がつく時がやってくるのです。

それは、例えば、「あれ、こんなところにこんな花が咲いていたんだ」とか、「ここにこんな店ができていたんだ」とか、鏡に映した自分の顔が「こんなだったんだ」と驚くこととか、ちょっとした気づきとか驚きの瞬間です。

輪を回り続け、いろいろなことを考え、試しているうちに、ついにはどれでもない、何もわからないという混乱のピークに来て、足を止める時がやってきます。

そして、回転していたのは周囲ではなく、自分であったことに気づきます。あるいは逆も言え、自分は何も動いていないというか、同じ場所にいるのに、周囲が回っているように思えていたから、混乱していたのだとわかる場合もあります。(これは相対的なもので、どちらも究極的には一緒のことです)

逆説的でわかりづらいかもしれませんが、つまり、回転し続けたことによって、自分の中心が、それこそ輪の軸の中心に集約してくるかのように定まってきたとも考えられるのです。

回転するものの中心はであり、中心点です。ここはいわゆるゼロポイントとなり、周囲の回転とは別の無の状態(中立の状態)にあります。言わば、台風の目のようなものです。

だからこそ、今まで回り続けていた輪の中とは違う感覚が現れ、出口のようなものに出会えるのです。

それが、今述べた「我に返る」ような現象であり、動くものが静止する瞬間(今まで見えていなかった景色に気づく時)です。

同じところを何度もループして通っているのは、怖いことでもあり、不安も増します。

それでも、もがき苦しみながらも、いろいろなことを考え、試し、万策尽きたかのように見えた時でも、そのあなたの努力、彷徨いは無駄ではなく、このように、輪の中心軸に導かれることがあり、その瞬間、ループからの出口が開きます。

まるで、回り道を何度も通ったからこそ出会える出口、正解の扉のようなものです。

ダイレクトに無駄なく、回答や正解を求めたい、落ち着きたい、解決したいという気持ちはわかります。また、そういうストレートに答えの出る方法や、効率のよい生き方もあるでしょうし、そのほうが時間的にも無駄がないかもしれません。

それでも、人は迷い、悩み、わざわざ遠回りのような形で、ある輪の中をループするかのごとく、回転し続けます。

しかし、それは永遠にループし続けることではないのです。回転しながら、自分を軸のほうに寄せていてくプロセスを自然にやっているとも言えるのです。

また回ってきたルート中に経験したことも、自分の糧や学びになっているものもあるでしょう。

そうやって考えてみると、迷っているようで、導きやナビゲートは(その時は自覚はないものの)実はあり、それはあらかじめ私たちに用意されているのだと思えます。

マルセイユタロットの大アルカナの数で見れば、「運命の輪」の前には「隠者」がいて、二枚を並べると、彼(「隠者」)がちゃんと指導しながら(見守りながら)、輪の中に招き入れているかのようにも見えます。

漫画やアニメ風に言うならば、とぼけた師匠によって、弟子を修行で鍛えさせるために、わざとループの輪の中に放り込むみたいな感じです。(笑)

今、輪の中でグルグルしている人も、必ず、出口はありますので、ピークまでやってみるか、ちょっと足を止めて、周囲を見渡してみるとよいでしょう。

混乱の中にある人でも、マルセイユタロットでいえば、「節制」の天使が、この階層(「運命の輪」を含む)には入り込めますので、救いの道も示されることでしょう。

ストーリーとしてそう信じることが、意外に大切でもあるのです。

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