タロット、ビブリオマンシー
皆さんは、ビブリオマンシーというものを知っていますか?
ビブリオは書物、マンシーは占いのことで、つまりは、本を使った占いです。
簡単なやり方としては、本を無作為に開いて、出たページに書いてあることが、質問の答えやメッセージだと見ます。
この時大切なのは、ビブリオマンシーに使う本の選別です。
どんな本でもできないことはないのですが、やはり、使う本自体に信頼を置いていることが重要で、占いとは関係ない本だとしても、自分がその本と内容に信頼や愛着があり、よい言葉とか文章が書かれているものを選ぶことがポイントです。
いわば、本を神託の出所とするわけですから、それだけ本への神聖さというか、大切だと思えるものが望ましいわけです。
純粋な占いの意味でやってもいいのですが、私はシンクロにニシティ(偶然の一致、偶然性にある必然性)を見るために、たまにやることがあります。
まあゲーム的なことで、行うこともありますが。
私の場合、マルセイユタロットの本も利用します。
タロットの本には、最低でも、大アルカナの一枚一枚の説明ページがあることがほとんどです。
そのため、偶然開いたところが、どれかの大アルカナのページであることもよくあるわけです。これは、言ってみれば、タロットの一枚引きをしているのと同じになります。
そして一冊の本だけではなく、三冊くらいの本を使います。すると、大アルカナとか小アルカナとか、都合三枚くらい現れることになります。
同じカードで、重なることもあると思われるでしょうが、それはそれでシンクロ的な意味が強まりますから、よいと思います。
私の場合は、カードが重なることはあまりありません。だから、三枚引きしているような形になります。
ただ、面白いことに、似たような意味やニュアンスのカードがそれぞれに出ることが多く、本質的には同じことを言っているのだろうと推測することができます。
ここで、気づいた人もいるでしょうが、それならば、何も本を開かずとも、タロットを引けはよいのではないかと。
その通りです。(笑)
私が言いたかったのは、タロット占いは、見方によっては、実はビブリオマンシーの一形態と言えることもできるということなのです。
タロットは一種の書物なので、製本されて本の形になっていないだけで、1ページ1ページが本から離れて、自由に選んだり出したりすることのできるのがタロットと言えましょう。
ということは、78枚のページがあることになり、それをすべて読まないと、タロットという本を読了したことにはならないわけで、タロットを本という目で見ると、全体的・組織的・マクロ的な視点でもって扱うようになるのです。
同時に、タロットは本とは違い、ページそのものを本から独立させることもできます。
本のページは切り離されてしまえば、意味をなさないことがほとんどですが、タロットは、独立でも意味をきちんと持って、活用できるところが違います。
小さな者たちの集合体でありつつ、一人ひとり一騎当千の実力を持って独立した動きもできるという、恐ろしい軍隊です。(苦笑) あなたは軍師として、この軍を動かすことができます。
本といえば、マルセイユタロットで関係の深いカードに、「斎王」(一般名では女教皇と呼ばれるカード)があります。彼女は、その手に本を持っています。
このカード自身が「タロットという書物」の一部(一枚のカードと象徴)を示しながら、同時に、タロットの全体、一冊の書物としての重要さも表しているという二重構造になっています。
タロットは「宇宙の書」と言われています。精巧なタイプのマルセイユタロットの場合、この宇宙との関連を強調するため、「斎王」の持つ本の行数に、ある数を示して、宇宙との関係の意味を持たせています。
この行数は案外重要で、「斎王」を(主人公として)使った特殊なリーディング技法では、この数に応じたシャッフルや段階を経て、本の左右に置いて、自分の読むべき(入れる)知識と直感性(ふたつで二元性)を示唆させることがあります。
スピリチュアル的には、「斎王」の本は、実際の書物というより、ある種のエネルギーや波動ということも考えられます。本の行が波打っているところが、それらしく感じさせます。「斎王」自身も、自分の手にしている本に目をやっていません。
読まなくても、その内容がすでにわかっているのか、はたまた自分の手に余る特殊な文字やエネルギーで刻印されているので、その解読できる人を待ち受けているのか、いろいろな解釈ができます。
ビブリオマンシーのことに戻りますと、ビブリオマンシーは一人でやってもいいのですが、仲間とともにやってみるのも楽しいです。
グループで、ビブリオマンシーに使う本を選択し(一冊か数冊)、質問者と本を開く人を決めて、全員でやってみるとよいでしょう。
カードが描かれている本でもよいのですが、普通に文章だけのものでも面白くなります。
質問とはまったく関係ない本やページのはずなのに、そのページを読むと、不思議と、占ってもらっている人は、自分に関係していることを言われているように聞こえてくるでしょう。
お勧めは、ページごとにポエムのようなものが書かれている本がよいかもしれません。
例えば、私は今、ちょっと本棚を見て目についた、カルロス・カスタネダの「時の輪」という本を手に取り、私と読者の皆さんに、任意でページを開いてみます。(ビブリオマンシーをするということです)
皆さんも、何か質問とか悩みを思い浮かべてみてください。
さて、無作為に開いたページに書かれている言葉を載せてみます。
「悲しみとあこがれのない完璧さなどありえない。なぜなら、それらがなければ、まじめさもないし、いたわりもないからだ。いたわりのない知恵も、まじめさのない知識も、使いものにはならない」 (カルロス・カスタネダ著「時の輪」北山耕平訳 p216 より抜粋引用)
全然ピンと来ない人もいるかもしれませんが、もしかすると、皆さんの中の誰かは、このビブリオマンシーの言葉が、自分の悩みとか問いの参考になったかもしれません。私自身はちょっとびっくりのシンクロでした。
ビブリオマンシーを楽しみつつ、その一種でもあると言えるタロットマンシーも味わってみてください。(笑)
こうしたことができると言いますか、信頼するかどうかも、自分の見ている・経験している世界すべてが、繋がっている、関係しているという前提あってのことです。
世界がバラバラで無関係であり、ただの物質と目に見えている世界だけということしか信じられない人は、そもそも、こういうことをしても意味はないでしょう。(バカバカしいと思うだけです)
さらに、ただの占いで楽しむだけではなく、自分のしている行為が、高次の視点、真理を追究する観点では、どういったことなのかということも、必要なものだと思います。
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