リーディング技術・内容

他人向けリーディングが自分用になる

今日はちょっと、プロタロットリーダー向けの話になるかもしれません。少なくとも、他人に対して、マルセイユタロットを使ってリーディングした経験がある人でないとわかりづらいでしょう。

と言っても、プロタロット占い師向けということではありません。何度もここで言っているように、私自身は、占いを教えていませんし(ただし、占いを否定しているわけでもありません)、タロット活用は占いがメインとは考えていませんので、あくまでも私が考える「タロットリーダー」においての話だと思ってください。

タロットリーディングには、大きく分けて、他人(相談者・クライアント)に対してタロットを展開し、リーディングしていくものと、自分に対してタロットを使い、読んでいくものとのふたつがあると言えます。

簡単に言えば、他人向け、自分向けというリーディングのスタイルです。

しかし、これは私の経験上と、実践されている生徒さんたちの気づきからも言えることですが、他人向けにタロットリーディングをしているのに、まるで自分のことを言っている(自分のことが言われている)ように感じる場合があるのです。

割と初期から、私自身は、他人をリーディングした際に、あとで、じっくりその展開と内容を、自分にも当てはめて検証してみるということをやっておりました。

すると、ことごとく、自分にもあてはまる内容であったことに衝撃を受けました。

とはいえ、まったくそのまま当てはまるというものではありません。これにはタロットにおける象徴機能を理解し、活用する必要があります。

例えば、タロット展開は同じでも、別の意味で読むことができるというのも、それに該当するでしょう。

重要なのは、クライアントの質問とか、自分の問題・問いというよりも、まずはタロット展開なのです。(展開されたタロットカード、その内容)

私はカモワン版から学んだ口ですので、展開法もカモワン流をベースにしています。すると、通常、カモワン流は、相手・クライアントがいた場合、クライアントを中心としてタロットを展開しますので、タロットリーダー側は逆向きに並べられたタロットを見ることになります。(クライアント側がタロットの正立・逆向き、展開視点の主ということ)

ですから、他人をリーディングしている時は、タロットの向きにおいても、タロットリーダーは相手(クライアントとその質問)にフォーカスしてリーディングします。そもそも、相手に集中するのは、他人向けリーディングとしては当たり前のことですが。

ところが、その展開されている(出ている)タロットカードを、改めて自分(タロットリーダー)向きに変えて並べてみると、今度はまさに自分のことが表されているように見えてくるのです。

さらには、通常時、反対の視点であるタロットたちでさえ、反対(の視点)なりの意味が、自分(タロットリーダー)にあることも、気づくケースがあります。

結局、たとえ他人向けであっても、タロットカードは、両者(クライアント・タロットリーダー)に関する何らかの示唆を表すのではないかと考えられるわけです。

内容はリーダー側の焦点によって変わり、通常は、もちろん他人・クライアントに関してのもの(クライアントに意味あること)として、展開されたカードたちを読むのですが、これを自分自身・タロットリーダーに関係することだと見た場合は、まさにリーダーへの象徴としてカードたちが意味をもってくるという仕組みです。

あえて悪い言い方をすれば、どんな展開だろうが、どんなカードだろうが、自分に関係すると思えばそう見え、相手に関係すると思えば、相手のものとして見えてくるのかもしれません。

それではカードを引く意味もないだろうとなりますし、ひろゆきさんではないですが、単に「それって、あなたの感想ですよね?」「あなたの思い込みの世界ですよね?」(笑)となります。

これを否定することも難しいです。(苦笑) なぜなら、タロット(リーディング)はほぼ主観の世界だからです。

とはいえ、検証を繰り返してきて思うのは、主観を超えた客観的とも言える、カードの出方があるのも確かです。それも主観と言ってしまえばそれまでですが。

カードは全部で78枚、大アルカナだけでも22枚ありますが、その中で、わざわざなぜこのカードが出るのかと言った驚きは、一度や二度ではないのです。

他人向けの場合はもちろん、今説明している、他人向けなのに自分として見た場合も、そういうケースが多々あるのです。

他人が引いたカードなのに自分にとって意味があると見える、またその逆もあるのがタロットの世界です。

自分が引いて、自分に関係しているのなら、それは当たり前とも言えますが、他人が引いたのに自分に関係している、ということも普通にあるわけです。偶然や思い込みとも言い難い、カードの意思のような出方があるのです。

あくまで、カードを出方に人間の意識や思念が関わっていると考えた場合、他人であっても自分と(意識やデータが)つながっていると見ることができ、それならば、誰が引いても自分に関係するようなカードが出る理由も、わかる気がします。

それが正しいかどうかもわかりません。

ただ、タロットリーディングという、儀式であり、ゲームとも言える、ある設定の場において、質問する者と質問される者、カードを引く者とカードを読む者など、両者の関係性は、一時融合する瞬間があり、それによって、カードは両者に関連する内容で引かれる(出る)と想像できます。

この性質を利用すると、自分リーディングは、他人リーディングをしている時でも、あるいは、そのあとでも可能になります。

また、次のようなやり方もあります。

それは、自分一人で自分をリーディングする場合、あえて想像上の他者を置いて引くという方法です。

自分をクライアントとして想定し、他人向けの形式でタロットを展開し、リーディングするのです。これによって客観性も出ますし、他人向けとして集中して引いたものを(それは自分に対してのものではありますが)、あとで冷静に振り返って読むことができます。

もっと客観性を持たす方法としては、自分の問題ではなく、まったくの他人をイメージし、その人に何か問いがあると仮定して作り出し、その設定でタロットを引いてみるということもできます。

自分一人であっても、イメージ上は他人で、問題(問い)もその他人のものですから、自分とは関わりがないように思え、主観過ぎること(気持ちが入る過ぎること)から逃れられます

ですが、これまで説明してきたように、他人向けで他人の質問として展開したタロットであっても、タロットリーダーとして関わっている限り、タロットリーダー用に意味があるものと解釈することも可能なのです。

ですから、この場合、相手は架空であっても、タロットリーダーは自分であるので、その展開で出たタロットは、自分のこととして読むこともできるのです。

ほかにも、他人向けに展開されたタロットたちが、タロットリーダーに向けて、あるメッセージを示している(タロットリーダー自身へというより、あくまでタロットリーダーという役割において)という読みと解釈もあるのですが、これは実践してきた人でないとわからないので、ここでは説明しません。

とにかく、タロットの象徴機能というのはとても多岐にわたり、多重次元に関わるものだと実感します。

逆に言えば、私たちを今の次元認識から脱却させるためのツールとして働きかけがあるのが、タロット(マルセイユタロット)なのかもしれません。


同じ質問で何回もカードを引くこと。

タロットリーディングとか、タロット占いでは、同じ質問で(何度も)カードを引いてはならないというの暗黙のルールがあります。

これはタロットに限らず、特に占いの易の世界だと厳しいと聞きます。

それはなぜなのか、実はいくつかの理由があるのですが、もっとも当たり前で単純なこと(笑)を、事例をもってお話しましょう。

端的に言えば、同じ質問で何回もカードを引くと、答えがどんどんわかりづらくなるからです。

実例を示しましょう。

一人の女性が以下の質問について、マルセイユタロットを一枚引きして解釈しようとしているというシーンです。

※ここはタロットリーディングというより、あえて占い的な質問でやってみます。

問い 「あの人は私のことをどう思っているのでしょうか?」(恋愛系)

最初に出たカード

「力」

(引いた当事者の感想)

うーん、わかりづらいなあ。私がこの力の女性なのか、相手のことなのか。でもライオンが私にも相手にも見えるし、どっちなんだろう。ライオンだったら私が彼に委ねたい気持ち? いや、私が相手任せなのかな? まあ、なんか力強いカードだから、相手がどう思っていようと強気で押せば何とかなりそうかも? でもちょっとよくわからないから、もう一回やってみよう。

二回目に出たカード

「手品師」

(引いた当事者の感想)

あ、これは男性のカードだから、相手のことかな。確か仕事を意味するカードだし、どうも恋愛感情というより、単に仕事関係の仲間、つきあいという感じで私のことを思っているような… でも前は「力」のカードが出たし、女性である私が押し切れば何とかなる? それともまずは職場で仲良くなるべき? いったいどうしたらいいんだろう。相手の気持ちもまだわかりづらい…えーい、もう一回引いてみようっと。

三回目に出たカード

「力」逆位置

(引いた当事者の感想)

えっ、また「力」、しかも今度は逆位置。いったいどういうこと? やっぱり失敗する関係なの? どうも逆に弱気になってきた。二回も「力」が出たから何かシンクロはあるのかもしれないけど、今回は逆位置だし、余計わからなくなった。「力」とライオンはひとつみたいだから、気持ちは通じ合いそうだけど、逆位置だから、反対に気持ちは離れているということ? もう何が何だかわからない…

以上のように、確実に解釈が混乱していくわけです。(苦笑)

同じことですが、ほかの質問でもやってみましょう。今度は当事者は男性で、転職に関してのことです。

 

問い 転職したいが可能か? 

最初に出たカード

「節制」

(引いた当事者の感想)

強引にやらなければ、何とか行けそうな感じ。救いの手もありそう。では、少しずつ転職の準備をするか。念のため、もう一回やっておこう。

二回目に出たカード

「吊るし」

(引いた当事者の感想)

「吊るし」かぁ。このカードの感じだと、むしろ転職は止めて置いたほうがよいような気もするな。じっとしている図像だしな。いや、逆さというスタイルも気になるぞ。今の職場は苦しいから、逆に考えて、ここから抜けたほうがいいと言っているのか?なんかわからなくなってきたぞ。さて困った…

 

やはりこの人も、複数回引いてしまったせいで、わかりづらくなったようですね。(苦笑)

 

イエス・ノー的なことも含めて、何度も同じ質問でやってしまうと、最初は肯定的だと思ったものが、次には否定的なカードが出たりと、その逆もあったりで、とにかく何回も同じ質問で繰り返し引くと、何をタロットが示唆しているのかがわからなくなるのが普通です。

まったく同じカード(正逆も含めて)が出たり、似たようなことが読み取れるカードが続けて出れば、むしろ共時性という感覚で、意味をつかみやいかもしれないのですが、そういうケースは(同じ質問を繰り返すパターンでは)実は少ないです。

では、質問の言葉を変えて行えばよいのか?ということですが、あなたが聞きたいことは、結局、本質的には同じなので、言葉を変えたところで、結果(解釈)の混乱は目に見えています。

また、セルフリーディングとか自分で占う場合にはよくあることですが、最初から期待するカードとか結果があって、それを引き寄せたいために引き、しかしそれが出なかった場合に、またカードを引いてしまうというケースがあります。要は、期待した結果になるカードが出るまで引くというやつです。

これは本末転倒で、自分の意思が現実に及ぶ力を試すにはよいかもしれませんが、偶然性から必然や意味を汲むというタロット占い、タロットリーディングとは別ものになっています。

まるで、おみくじで凶を引いてしまったので、気分が悪いから吉とか大吉が出るまでやってみるみたいなものと言えましょう。

個人的には、仮に同じ質問で何度もカードを引いたとしても、どのカードの結果も、大局的(高度)に見た場合、意味があると考えますが、解釈的には非常に困りますし、先述の事例のように混乱するのがオチです。

やはり一期一会的な気持ちで、最初に出たカード(たち)が表してくれているのだと思って、敬意をもって見ていくのが、タロットリーダー側の態度としてはよいかと思います。

※ここで言っているのは、一番わかりやすい理由の、カードが異なって出てしまうことにより混乱する事例を示していますが、ある条件下では、同じ質問で何回かカード引くことが悪いわけではない技術もあります。そして、禁忌の理由には混乱以外のこともありますし、この問題は単純なものでは実はないところがあります。


カードの読み、能動・受動、立場の違い

タロットカードの読み方(解釈の仕方)には、だいたい、核となる意味があって、そこから派生したものを想像するというパターンが多いです。

それは基本的には正しいと考えられ、カードには、その象徴性の元となるものがあり、それは言葉では本当は言い表せないものではありますが、あえて抽出すれば、上記の「核」となる意味に近いものと言えます。

ですから、その象徴の大元をつかんで、そこから関係(派生)する、いろいろな意味を見出すことは、手順としてはよい方法なわけです。

一番まずいのは、ただ単語としてカードの意味を無理矢理覚えるようなやり方です。

カードの象徴性を把握しないまま、機械的に、「このカードはこういう意味」と暗記するのは、タロットがシンボリズム(象徴機能)とそのシステムで構成されていることを無視するようなもので、タロットを本当の意味で活かすことができないでしょう。

ところで、カード一枚一枚には、さきほど述べたように、根本の象徴(性)があるわけですが、これが「象徴」であるがために、実は一見正反対だったり、対立したりするかのような意味合いを見出すケースがあります。

言葉にすると矛盾したり、正反対だったりしても、象徴することの本質では同じであるということに気がつかないと、なかなか理解が難しいかもしれません。

例えば、マルセイユタロットの「運命の輪」というカードは、今すぐやってみると読む場合と、しばらく待っておくというような、反対の意味合いで見ることがあります。

これは、「運命の輪」が回転するものという本質を考えれば、そこから時間やタイミングという象徴性が表出され、「タイミングを合わす」ことを主眼で考えれば、現時点でのゴーもストップもあり得ることになります。

それは「チャンスをつかむ」と言い換えてもよく、時期の早い遅いの問題ではなく、そのチャンスに自分をいかに合わせるかということがテーマになっていると考えれば、まさにタイミング(時間合わせ)の問題(課題)であるとわかります。

※(もっとも、個人的には、チャンスをつかむことがこのカード「運命の輪」の本質ではないと考えており、本当はもっと別のことにあると講義では説明しているのですが、今回は記事の内容に沿わすために、あえてわかりやす説明で一般化してお伝えしています)

というわけで、カードの読みによっては、正反対みたいな意味(言葉)も出ることがあるわけですが、もうひとつ、能動と受動(送り手・受け手)というエネルギー・動きとしての正反対の読みが、それぞれあることもふれておきましょう。

マルセイユタロットの場合、これは大アルカナも小アルカナも、すべて言えることだと思います。一枚一枚、能動的な読みと受動的な読みの両方が考えられるというわけです。

例をあげましょう。

12の「吊るし」のカード。

このカードは受動性が印象的に強いカードです。マルセイユタロットではない別のタロットでは、おそらく“吊るされた”とかの、明らかに受動的、もっと言うと犠牲的な意味合いでとらえられることが多いと思います。

しかしマルセイユタロットの「吊るし」では、名前からして「吊るし」としているように、実は自らが好んでこの吊りの姿勢をしていると考えます。表情的にも吊らされている苦しさというより、笑みを浮かべているかのような余裕を感じさせます。

ということは、変な言い方になりますが、能動的・積極的に吊っているわけで、逆さの姿勢をあえて取ること、または動きを停止することで、なされる(なすべき)ことがあるという解釈も成立します。

このような、カードそのものの能動・受動の反転した見方ができる場合もあれば、カードの図像に描かれているものを見て、どの立場に自分(タロットを読む人、タロットに相談する人)を置くかによって、能動・受動が変わるケースもあります。

例えば5の「法皇」では、メインは何か説教や話をしている法皇に見えますが、一方で、下の方には、その法皇の話を聞きに来ている聴衆が描かれています。

自分が法皇の立場なのか、あるいは聴衆の立場なのかによって、話をする側の能動と、話を聞く側の受動というように分かれるわけです。

ほかにも、20「審判」というカードでは、一般的には覚醒とか復活とか、中央下の、起き上がっている人物を中心に解釈されることが多いのですが、目立つのは、むしろ、ラッパを吹く天使であり、この天使の立場になれば、まさに起床ラッパのように、ラッパを吹いて人物を起こすという感じになります。

とすると、中央の人物は、天使から起こされていることになって、受動的になります。

もっとも、別の見方では、人物が起き上がることによって、天使がそのことを祝福してラッパ鳴らす(おめでとうみたいな演奏)ということも想像できますので、その解釈では、天使側も受動性を持つ(中央の人物の行動に反応した)ことになります。

※余談ですが、「審判」は、見た目、人間と天使という図像なので、人間である私たちは、自分(たち)を「審判」の人間側として見てしまうことがノーマルになり、あまり天使側を自分として読むことが少ないです。しかし、時には天使側になって、自分や誰かを起こすことが必要と解釈することができ、目覚めを待っている人が身近にいる(あるいは自分自身の)可能性があるのです。

いずれにしても、カードの図像の人物なり、動物や物事なりを、どう当てはめるかによって、読み方も変わって来るということなのです。

これが一枚だけのことではなく、複数枚以上でも成り立ちます。例えば三枚引きをしたとしましょう。

たまたま今三枚を引くと、「13」「斎王」「愚者」と出ました。

「13」の鎌を持つ者を自分とするか、あるい切られている首とか骨が自分と関係していると見るか、そして「斎王」は、斎王自身が自分としても、学びを自らが行っているのか、外からのものを受け入れて、学習されられているのか、さらには、「愚者」は、愚者が自分なのか、ついて行こうとしている犬が自分なのか、また同じ犬でも、愚者にすがっているのか、止めているのか、喜んで同行しようとしているのか、色々と立場や姿勢の変換によって、解釈が多様にできます。

それを活かして、この三枚のリーディングを事例的にすると、『解雇の危機を受け入れる自分は、すでに新たな資格の勉強をしたり、様々な情報の取得をしたりしており、そのおかげで、転職への希望か出ているし、身に着けたことは「犬」として、自分の新たな旅立ちを後押ししている』というものが一例としてできます。

大アルカナを中心として見ましたが、これまで説明したことは、小アルカナでも可能です。

たとえ玉のカード一枚でも、玉(お金)を作る(稼ぐ)のか、使うのか、貯めるのか、増やすのか、これもいろいろと解釈できるわけです。

もちろん、数カードの場合、奇数か偶数かとか、数の意味によって、傾向は決まってくると言えますが、小アルカナと言えど、あくまで象徴カードであるので、ひとつの意味に固定されるわけではないのです。

視点・観点・立ち位置・エネルギーなど、いろいろと考え、もっとも適した解釈を探って行くことも、タロットリーディングでは重要だと言えますし、自己活用するうえでも、普段とは異なる見方をして、新たな気づきを得たり、修正したりすることができますので、タロットカードを決まりきった見方・解釈で固定しないように注意しましょう。


タロット、時間感覚、記憶、ストーリー、世界

タロットリーディングにおいて、時系列的に、「過去」「現在」「未来」を読むことがあります。

しかし、タロット占いでは、たとえ「過去」は取り扱ったとしても、重要視されないことが多いです。

それは、ほとんどの占いに来る相談者の関心が、終わった過去のことより、「今どうなの、これからどうなるの?」というように、「今後」にあるからで、極端に言えば、過去の話などいらないのかもしれません。

占いの場合はそれでよいかもしれませんが、リーディングになってきますと、「過去」はむしろ大事になってきます。

心理的にも過去のデータ(体験・経験・経緯・出来事などの記憶、思い)が現在にも影響を及ぼしていると考えられるからで、さらに言えば、それは「未来」にも関係してくると想定できるわけです。

ということは、時系列的に一番重要なのが「過去」だとも言えます。

ただ、やはり、中心は「現在」であり、現在の状況に問題を感じている、悩んでいる、何とかしたいと思うからタロットリーディングを行うことが多いわけで、そういう意味では、「現在」が最重要ポイントと言えるかもしれません。

しかし「現在」という定義が実は難しく、厳密に言えば、刻一刻と時は移り変わっているわけで、すぐに「現在」は「過去」になり、逆の視点では、「未来」がずっと押し寄せてきて、「現在」が流されていくという解釈にもなります。

すると、「現在」というものはないことも考えられます。私たちは、「過去」と「未来」のはざまをさまよって生きている存在なのかもしれません。

いずれにしても、「過去」は無視していい時点ではないと思えます。

特に心理的な問題を抱えている人、本人が気づいていなくても、同じことを繰り返し問題化させていたり、なぜかずっと気になって仕方ない状態が続いていたりする人などは、「過去」をタロットリーディングする必要はありそうです。

また、「未来」についても、単なる「こうなる」「こういうことが起こるかも?」というような占い的な話ではなく、自分の目標、希望、願望、恐れ、不安、さらには幾つもの想像される選択肢(それは意識・無意識の両方)など、様々に考えられます。

時間を普通に「過去」→「現在」→「未来」という具合に一方向に流れていると見るだけではなく、その反対の、「未来」から「過去」に向かって流れている視点もあると、リーディングが変わって来ることがあります。

例えば、「未来」の設定(イメージ)があやふやであれば、現在をどうすればよいのかも不明慮ですし、逆に未来をはっきり定めていれば、そこに到達する手段や方法も、今現在から具体化しやすくなります。

ほかにも、「未来」をよくすることができれば、過去の、自分がネガティブでダメだと思っていたことが、未来のための糧、必然事項と変化し、「過去」の印象そのものがチェンジすることもあり得ます。

「過去」の印象がよくなれば、「現在」へもその影響は及び、つまるところ、「過去」「現在」「未来」すべての時系列がよい意味で変化することで、それはもう「人生に充実感あり」と同意儀になってくるでしょう。

それで、前にも「運命の輪」に関係させて書いたことがありますが、私たちは、時系列を認識する時、「過去」から「未来」への一方向の流れとか、「過去」「現在」「未来」の三つの概念でとらえようとします。

しかし、先述したように、時間は「未来」から「過去」へ向かったり、「現在」というものがあいまい(もっと言えば「時間」そのものがあやふや)だったりすることも考えられるのです。

そういった多くの時間の感覚・考察を導入することによって、単純で常識的なリーディングから離れ、時空を超越したかのような読みや気づき、変化をもたらせることが可能になります。

ところで、時計的な一様に流れる時間とは別に、よく言われるように、一人一人の個人的時間感覚があります。クロノスとカイロス時間の違いですね。

ということは、特に個人においては時間が異なることもあるわけで、だから、個人それぞれで感じている世界も違うと想像することができます。

そして最初に述べたように、「過去」という記憶は、意外にほかの時系列に影響を及ぼしていますから、記憶によって、時間の感覚も変わって来たり、世界そのものも変わったりする可能性もあると考えられます。

記憶と時間、世界ということでは、マンデラ効果(エフェクト)ということが思い浮かびます。

これは、事実とは異なる記憶を不特定多数の人が持っていることを表す言葉ですが、実際には、その人たちの記憶違い、勘違いのケースだと考えられます。(インパクトの強い似たようなことがあって、多くの人に間違って共有された記憶となったと想像できるもの)

ただ、あえてエンターテイメント的に言えば、アニメでよく表現される「世界線」(パラレルワールドのような、いくつもの世界に分かれる線)が変わり(乗り換えられ)、別の世界へ来た状態ということもありそうです。

たくさんの人が同じ記憶を持っているのなら、それは記憶違いではなく、本当にその記憶の通りの世界があり、その後、世界線が変わって、その記憶とは別の世界にシフトした人が多くいるという解釈です。

日本のマンデラ効果で、かつて話題になった、コカ・コーラ社から1970年代に販売されていたと噂される「ファンタゴールデンアップル」の話があります。

実は、私も、このファンタゴールデンアップルは確かにあった、飲んだという記憶があり、小学生の頃にかなり学校でも話題になったようなイメージが残されています。その瓶とか、飲んだシーン、場所など、ありありと記憶しています。

ただし、コカ・コーラ社からは、ファンタゴールデンアップルはその当時には販売していないと正式に発表されています。

それで、「いったい、私の記憶にあるものは…何?」と思ったわけです。

実はファンタアップルという商品は販売されており、同時期に「ファンタゴールデングレープ」という名前で、まるで黄金色に見えるジュースが、わずかの期間、売られていたとのことです。

おそらく、それらが混同され、間違った記憶になっていたのだと思います。私が飲んだのは、たぶんファンタアップルでしょう。

それでも、いまだにファンタゴールデンアップルなるものは存在した、実際飲んだという人が結構いるようです。

何が言いたいのかと言えば、別に世界線が変わったとか、パラレルワールドに移行したという話(それもスピリチュアル的には興味深いのですが)ということを強調したいのではなく、このように、記憶というものの支配は、強固で、時には信念になったり、事実と変わらないものとなったりして個人の中にあり、さらには、たくさんの人との間で共有されることもあるということです。

もし洗脳があるならば、それは洗脳された側では、もはや事実であり、記憶が時間(感覚)とも関係し(特に過去から未来に時間が流れていると信じる場合)、人の一生も支配しかねないわけです。

人は記憶で生きているとも言え、そうすると記憶は事実とは異なってきますので、人は幻想の中に生きていると例えられるかもしれません。

一人一人の世界とストーリーがあり、それは皆、夢の中にいるようなものです。別の意味で夢中なわけです。

マルセイユタロットに「月」というカードがありますが、このカードが18という上の方の数を持ちつつ、幻想的な世界を象徴し、7を基準にすると、11の「力」、4の「皇帝」とも関係して、現実に多大に影響を及ぼしていることがタロット的にわかります。

記憶と幻想は変えることが可能ですので、個人のストーリー、人生の意味合いも実は柔軟に変化させられるのではないでしょうか。言わば、思い込みの世界なので、どう生きようが、自由と言えば自由です。

問題や悩み、その解決とか解消も、つきつめれば同じ幻想世界の中での話です。それは一種のゲームと言えましょう。

真の解放は、やはり記憶や時間、定番なストーリーからの疑い、解除から始まるのではないかと考えられます。

人や自分の問題をタロットで扱いつつ、そういうことを想うところがあります。


小アルカナとシンプルな選択方法

タロットは何かを決める時には、よく使用されます。

タロットリーディングの問いにおいて、決め事(迷いからの選択)の相談は、かなりポピュラーと言えましょう。

もっとも、前にも書きましたが、私自身は、決め事にタロットを活用することがほとんどありません。その理由は、それにあまり意味がないことを知ったからです。

意味がないというのは語弊がありますね。ここでの「意味」とは、自分自身(私)における意味ということで、意義に近いものです。

日常生活での何かの選択というレベルでは、私が求めているタロット活用とは異なるのです。しかし一般的には意味があると言え、人によっては結構重要なことにもなります。

さて、タロットというのは、伝統的なスタイルを持つものは、普通、78枚を一組にして、大アルカナと小アルカナと呼ばれるパートに分かれています。

このうち、小アルカナは56枚あり、コンセプトとして、4つの組に分類できるようになっています。すなわち、剣・杯・杖・玉(一般的にはソード・カップ・ワンド・コインと英語で呼称)の4つです。

大アルカナと小アルカナでは、扱う(象徴する)レベル・範疇が異なります。

マルセイユタロットの場合、特に小アルカナの数カードは、他とは絵柄が違い、シンプルで記号的なデザインになっています。

そのため、かえって、小アルカナのコンセプト、4組がわかりやすくなっており、見た目ですぐに違いの判断ができます。

ただし、「剣」と「杖」の組は、一見よく似ているので、初心者は間違うこともあるでしょうが、その特徴をつかめば、分けるのは視覚的にも簡単になってきます。

もし、マルセイユタロットのデザインに意図があるとすれば(私は意図があると考えていますが)、わざと4組がわかりやすいようにデザインされていると見ることも可能です。

ということは、数カードは、特に4組を意識して使うものという解釈もできます。

さて、最初の決め事や選択の話に戻ります。

何かの選択(肢)で迷っている場合、意外に大アルカナでは判断しづらいことがあります。

それは、大アルカナの絵柄が絵画的に描かれているため、一枚一枚が色々なもの(意味)に見えてきますし、ましてや複数枚ともなれば、相反する意味やニュアンスが読み取れることもあり、いったいどっちなのか?、どれがよいのか?と、かえって迷ってしまうわけです。

こうしたことを防いだり、もっと単純に選んだりしたい場合、小アルカナの4組のコンセプトを利用し、それが如実に表現されている数カードを使うとよいわけです。

さらに言えば、数カードの中でも、絵も使って、4組の特質をもっとも表している「1」(エース)のカード4枚だけでも十分、選択に使えます。

やり方は、極めて簡単、自分が迷っていることに対して、何をもっとも重視して選べばよいか?と思って、数カードエース4枚をシャフルして一枚出します。

当然、剣・杯・杖・玉のうちのどれかになります。

「剣」は、合理的なこと、客観的情報判断、「杯」は気持ちが満足、落ち着くこと、「杖」は行動、移動の観点、使命感によるもの、「玉」は経済的、実質的なこと、などをポイントとします。

例えば、「剣」は口コミとか他の情報、事例も加味して合理的なものを選択、「杯」はとにかく自分の気持ちが満足、納得することで判断、「杖」はやりたいことをする、行きたいところに行く、使命・情熱的なもので判断、「玉」が出たらリーズナブル、経済的に得なほうでの判断、などです。

一般的に、「杯」と「杖」は同じ「気持ち」的なことが絡むので、単純に分けられないかもしれませんが、「杯」は満たす、ひたる満足感であり、あまり動きがないのに対し、「杖」は動きがありその満足感は、目標に向かって進んだり、プロジェクトなどを通したりして、生きがい、やりがいを味わう(味わっている)ことで得られる類のものです。

よって「杖」の場合は、「杯」のように、必ずしも心が潤う、満たされるというものではなく、やっていること、選んだことに誇りとか情熱が持て、むしろ作業中の過程的なものに満足している(燃えている)ようなものと言えます。

あそこに行くのが目的で、それそのものが楽しいと思う「杖」と、あそこに行けば落ち着く、満たされる「杯」というものとの違いですね。

こうして4組、数カードを使えば、意外に迷っていたこともシンプルに片が付く場合があります。

この方法は、実は「決まる(決める)」以外にも、自分がいつも何を重視していたのかもわかり、自身の選択の傾向も見えてきます。

4組は現実生活のレベルにあり、だからこそ、小アルカナは実生活で役立てられるものです。なぜかと言えば、現実(生活)は分離された世界観の中にあるからで、それを西洋的に、古くから4つの分離された(ように見える)エネルギー、性質としてとらえてきたのです。

分離されているからこそ違いがあり、変化も見えます。まさに色々な世界なのです。ですから、迷いが出るのも当然です。

大アルカナ的には、その迷いや違いの世界にいることを認識して、統合的観点を持ちましょう、となってくるのですが、それでは、現実的にうまく適応しない場合があります。

現実世界は、言い方を変えれば限定的世界であり、その限定において、効率と良し悪しの価値観は生まれます。これを無視して、スピリチュアルな統合観点のみで現実世界を判断すると、無理が生じます。

そのため、タロットは小アルカナの世界を用意してくれていると考えられます。小アルカナを活用するのも、(実生活における)タロットの役立て方のひとつと言えましょう。


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