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カウンセリング・コーチングとタロット

タロットは占いで使う道具という印象がどうしても一般的に強いのですが、心理カウンセリングコーチングの場面でも有効なツールとして活用することができます。


かのユングもタロットを研究していたという事実もありますし、そのユング派の流れを組む人が、タロットカウンセリング(タロットを使ったコンサルテーション)を行い、著書としても「ユングとタロット」(サリー・ニコルズ著)が知られています。

ユングとタロット―元型の旅/サリー ニコルズ

タロットの、特に大アルカナと呼ばれる22枚は、ユングいうところの元型(アーキタイプ、人類共通の神話的な心の像・モデル)を示していますので、カードと向き合うことで、自分の心の反応や抵抗・問題・成長・発展などが読み取れる可能性が高まります。


こうしてタロットはクライアントの心理分析・問題解決等の補助として使うことが考えられるのです。


ちなみにユングの研究したタロットはマルセイユ版でした。ですから、いにしえのマルセイユタロットの復刻版ともいえるカモワンタロットをユング的に心理カウンセリングに応用するのも、理にかなっているともいえます。


さて一方、コーチングにおいてもタロットは有効です。


コーチングは目標達成に向けて、相手(クライアント)からモチベーションを引き出し、自ら気づきと行動を起こしていくようコーチがサポートしていくものです。


この時、クライアントに自分のビジョン(達成したいこと)を明確にイメージしてもらうことが重要です。


つまりは「なにをしたいのか」「何をどのように実現させたいのか」を自分で知ってもらうよう援助することがコーチ側には求められるわけです。


それにはイメージ化・映像化は必要なものですし、感情も含めた自己分析・現状分析もいるでしょう。ここにタロットが活かせるフィールドがあります。


タロットは図像であり象徴ですから、クライアントの現状・未来の目標も絵で見せることができます。


しかもカモワン流ならば、解決カードという解決策や調整方向を示唆するカードが出るので、実際の知識やデータから得られるものだけでなく、クライアントの抱える潜在的な情報からのよい方向性(本人の望む真のビジョン)も知ることができます。


こうしていわば「コーチングタロット」という、タロットとコーチングを合わせた対人援助も実現可能です。(実際にコーチとしてタロットを使われている人や、「タロットコーチング」の名称で相談されている方はいらっしゃいます)


ただ、タロットのことをあくまで「占いの道具」だとして、「占い」と「タロット」に悪い(いかがわしい)イメージを抱いている方や、心理学でもアカデミズムとしての立場を強くとっている方には、タロットは敬遠されてしまうものかもしれません。


また、本音ではタロットを使いたいと思っていたとしても、いろいろな事情(自分の仕事のイメージ、公の場面でのイメージへの抵抗など)から使えないということもあるでしょう。


そんな場合は、相談者やクライアントの前で使うのではなく、事前や事後の分析ツールとして使うという方法もあります。


いずれにしても、カウンセリング・コーチングとタロットは相性がいいと考えられますので、そられをメインの仕事としてお考えの方には、一度はタロットにふれてみられるのもよいかと思います。


タロットにおける電気的エネルギー

「ふるえ」や「しびれ」のようなものは、電気のたとえで使われることもありますが、「ふるえるような」とか「しびれるような」という言葉にもあるように、何か強烈な驚き、快感、おそれなどの感情を体感した時にも表現されるものでもあります。

つまり、ふるえやしびれのような電気的な「何かが走る」ような感覚こそ、非日常的な瞬間だともいえます。

究極的にはそれは神か悪魔か、自分ににとって大きな幸運か、逆に崩壊を招く知らせのようなことを意味するのかもしれません。

霊的な現象やエネルギーの質は電気とよく似ているともいわれます。

タロットではたとえば、「神の家」には稲妻のような強烈な光が描かれています。ほかにも、電気や光のようなものが関係している、あるいは表されているカードは何種類か存在します。(カモワン版マルセイユタロットの場合)

面白いことに、これらのカードをよく観察してみると、そのような電気的なエネルギーに対して絶縁したり、防御を施している面も見られることです。

私はこのことを、「準備」や「受け入れる段階」の問題ととらえています。

つまり、電気的なショックはまさに神の光として大きく自分や状況を(強制的といえるくらい)変えるものではあるものの、それにふさわしい段階や準備が整っていない場合には危険でもあるので、自分に応じたレベルで絶縁したり、地中にアースしたりする必要があるということです。

またこうも考えられます。電気的なエネルギーが天上からやってくるのですが、それを地上的(物質的)なものに変換することもできるのだと。それもその人のレベルに応じたものの分として、ということです。

怖さ・恐れのためにふるえることも、その状況や先行きに得体の知れない大きなエネルギーを感じているからだと思います。その正体がわかれば、自分の力にすることも可能でしょう。

盲目的にただ目をつぶり、逃げているだけでは、ふるえを生じさせるエネルギーに取り込まれ、翻弄されるだけです。

ちなみに「力」のカードは、回転する「運命の輪」や猛々しい「ライオン」を意のままに操る力を得ている状態であり、カードの順番としては、次の静止的段階である「吊るし」に向かっていることも興味深いことです。

自分を過信して無防備に高圧電流をさわることは自らを滅ぼしますが、きちんとした防護を施し、電流をしかるべき器や機関に流すことができれば、あなたの力に変えることができます。

また電気的エネルギーの貫通とアースによって、自分の中の浄化もできるでしょう。(こられはあくまで象徴として語っています。当たり前ですが、実際に電気を流すことは危険です)

何事も適度な刺激は成長につながりますが、過剰な刺激は破壊につながるということは真理なのでしょうね。


家系(問題)とタロット

私はまだ本格的には稼働させてはいませんが、タロットリーディングでは家系から来る問題について探ることができる場合もあります。

ここでいう家系からの問題とは、ひとつには心理的な要素、さらにもうひとつには因縁的ともいえる霊的な要素が挙げられるでしょう。

ただ霊的な部分については、いわばカルマともいえる非常に難しい部分を含みますので、それをどう扱うのか、そもそもそのようなものが存在するのかどうかなど、前提からしていろいろと問題を提起させるものといえます。

しかし心理的な影響ということでは、タロットでも立ち入る余地があるのではないかと考えています。

たとえば誰でもすぐに思い浮かぶのは、生育史における親からの影響です。

ただその親にしてもさらに親の親、当事者からすれば祖父母の代の影響を受けているはずで、さらに遡ることができるのならば、もっと上の代からのものも考えられるかもしれません。

とはいえ、あまり連綿と遡り過ぎてもわかりづらいので、一番色濃いともいえる三代くらいの影響を調べてみると、今の自分の問題の核心に行き着く可能性もあるでしょう。

たとえば、おじいさんが男の子を望んでいたのに女の子しか生まれず、子供として大切に扱われないまま嫁に行き、その思いを背負ったままその子がまた子を生んだ・・・となれば、その子供は過剰に保護されて育てられか、はたまた自分が受けたような愛情のあまり注がれることのない育て方をとるかもしれません。

また三代前に、祖父がそれまでの家系の仕事を嗣がずに飛び出し、事業で失敗して、その思いや様子を見ていたその子(父親)が、また元の家系の仕事に必要以上にこだわったり、全体的に自由さを許さないような雰囲気にしてしまったりする場合もあるかもしれません。

そうして今の自分の代にて影響が問題として現れてくるわけです。

祖父母や親戚(おじ・おばなど)筋を見渡すと、自分に似た人が一人がいるものです。しかも、時には誕生日さえまったく同じという方もいたりします。

家系は不思議なものですが、ひとつの同じ流れと器の中にいるものなので、自分の受けている影響がそこから皆無だとは言い切れないものがあります。いわゆる血の問題でもあります。

カモワンタロットのもう一人の製作者、アレハンドロ・ホドロフスキー氏は家系図とタロットリーディングによって、心理的な問題を解決しています。(氏はタロットを主として心理セラピーに使っています)

タロットにはいろいろな可能性があることの一例ですね。


タロットリーディングでも知識や情報は必要か。

という記事タイトルのような疑問をお持ちの方もいらしゃるかもしれません。


今回はそれについての私の考え方を書いてみましょう。

まず知識や情報といっても、タロットリーディングを想定した場合、大きくわけてふたつのものがあるといえます。


ひとつは、タロットそのものへの知識や情報。…1


これは図柄の象徴の意味、隠秘学、神話等も含めてのいわばオカルト(オカルトは変な意味ではありません、本来は隠された智慧という意味です)的な知識のことです。


そしてもうひとつはいわゆる社会的な知識や情報です。…2


これは平たく言えば、雑学も含めての「物知り」と形容されるような様々な情報と思っていただければよいでしょう。


実はこのふたつがあまりなくても、ほとんどの人は大まかなタロットリーディング(方向性がわかるというよなうもの)は可能です。


それはこれまでのタロット講座でも、まったく初心者の方が、タロットがいわんとしていることを心でとらえることができていたことからもわかります。


元来、タロットには誰でもタロットが表す内容を感じることができるような仕組みが備わっているからです。


しかしながら、タロットリーディングを安定させ、そのレベルを向上させていくためにも、1のことは知って学ぶ必要があります。


なぜならば、自分が何をリーディングしているのか、なぜそのように感じるのかがわからないままタロットを扱うことになるからです。


また、あることの価値を知るのにはその知識が必要です。


たとえば書道や絵画でも、誰が見ても美しい、整っていると感じる作品もあれば、鑑賞するための知識がなければ何を書いているのさっぱりわからない作品もあります。


しかし、知識があればその価値を計ることができますし、最初には気がつかなかった「美」というものがそこに立ち現れてくるのです。


そのほかにもカモワン流の場合では、そのリーディングの特徴から、知識があればあるほど深いリーディングにつながっていくことになります。


さらにいうなれば、直観やインスピレーションは、いきなりやってくる場合もありますが、多くは段階を経て、自分の中に蓄積ができてから、まるでその蓄積があふれるかのようになった時、突然降りてくることがあるのです。その蓄積こそが知識(と経験)なのです。


ただし知識偏重に陥ると、かえって型にはまり、自由な想像力が奪われることもあります。これは知識を翼として使うのではなく、知識そのものが到達点・目的・価値あることだと勘違いしている(意識していなくても、自分の癖になっている)場合に起こることです。男性にはありがちです。


さて、では2の知識や情報はどうなのでしょうか。


これもあったほうがいいと私は考えます。それもプロのタロットリーダーを目指す方には特にそう思います。


タロットリーディングは精神や心の分野に関わることが多く、気持ちの整理、気づきといったことで問題を解決していくことが多いのですが、具体的な解決策を相談者が欲する場合もあります。


コーチング的にタロットを使う時、相談者ご自身からもちろん気づきや方策を引き出すことが肝要ですが、タロットリーダー自身もいろいろな知識・情報を知っておくと、そのことが容易になります。


たとえば、仕事の問題で相談を受けていて、「今失業中で困っている、自分の道を探したい」と思っている相談者がいたとして、タロットカードでは「何か支援を受けながら自己の道を探求すればよいだろう」とリーディングできたとします。


ここで、タロットリーダーがもし公的な支援策をある程度知識として知っていれば、「たとえばハローワークでは経済的な面の援助と、自分の適性を知るテストなどやっていますよ」など伝えることができ、相談者にとって大きなヒントや安心感につながることになるでしょう。


とはいえ、知識や情報を入れるにしても、そうそうまんべんなくどの分野でも満たすことは難しいものです。


この時、逆に考えれば、自分の多く持っている情報や知識が自分の得意分野の相談になるということです。ここには経験から学んだ(身につけた)知識というものも入ってきます。


もともとある知識をさらに仕入れていく(学んでいく)ことによって、まさにその分野の専門家として特化していくことになるでしょう。最初からまったく知らない分野の知識を増やしていくより早いといえます。


ですが、やはりある程度の広い知識・情報は常にアンテナを張って入手していくようにしなければ、いつも漠然としたタロットリーディング、あるいは固定したリーディングになってしまうおそれがありますので、2の部分も強化していくことは無駄ではないと私は思います。






嫌な人間や状況に出会って考えてみること。

職場でもプライベートでも、おそらくほとんどの人は「ちょっとむかつく」という人(あるいは出来事)に出会った経験があるでしょう。


「ちょっとどころか、いつもその人に悩まされていますよ!」という声も聞こえてきそうですが・・・


それでそのいらだちから意識の転換を図るために、よくこういうことも聞かされたと思います。


いわく「嫌だと思う人は、実はあなたにとって成長の糧となる人」だと。


ですから、今更そのことを私がお話しても、「またかよ」と感じてしまうかもしれませんね。


けれども、私は全員が全員、出会った人で嫌だと感じる人間は、自分のためになる人(自分が原因であること)だとは考えていません。


明らかに自分には非はなく、相手に問題があることもあると思います。これを前世からの因縁などと言って、深く考えていたらキリがありませんし、場合によっては自分を責めることばかりにもなりかねないからです。


けれども、例えばヒューレン博士式の「ホ・オポノポノ」では、嫌だと感じたり、見たりする原因は自分の中の記憶(先祖から続く記憶も含めての膨大なもの)にあるので、その記憶を消去すればよいという考え方もあります。


それを適用すると、目の前の嫌な出来事も自分個人の人格的な責任ではなく、自分の中に関係する「記憶」に要因があるのだということで、その再生と消去に別の意味での自己責任があるということになりますから、自分自身を責めることにはつながらなくなります。


またカルマや縁起的(縁によって発生)な考え方においても、その嫌なことというのは、たとえ過去の自分に原因があったとしても、ほかの多くの人や出来事(過去も含む)との関連によって、まるで絡まった糸のように起こってきたことなので、原因をすべて自分に帰すことはやり過ぎの面もあるのではないかと推測できます。


さて、それはそれとしまして、いろいろと考え方はあるものの、やはり自分にとって嫌な人間というのは刺激になっていることは確かです。


この刺激が悪い意味での刺激である(と、とらえてしまう)から嫌なのであって、よい刺激のこともあるのだと思えば、幾分思い(心)の負担は軽くなります。


ところでタロットカードには「太陽」というカードがあります。このカードには仲の良さそうな二人の人物が太陽の下で、手を取り合って喜んでいる姿が描かれています。(カモワン版マルセイユタロットの場合)


バランスがとれている時は二人の関係も励まし合って、お互いを高め合うよい状態だといえますが、仲が良すぎてしまうとこれまた問題になります。


いわゆる内輪的発想、かばい合い、マンネリのような事態を生み出すのです。


人には常に居心地のよい状態を保とうとする働きがあります。


従って人間関係でも、「もうわかりあった」という仲の良い、馬の合う仲間達の間で固まろうとしがちなのです。


それはそれで楽しい時間が過ごせていいのですが、行きすぎると先述したような内輪ボケみたいなことになってしまい、考え方も固定したもので止まることが多くなります。


そのためかどうか、神様は本当によくしたもので、嫌な人間や状況をあなたに出会わそうとするのですね。


異質なものは確実に刺激になります。それは異質すぎて受け入れられず、不快な気分をあなたにもたらせます。


しかし、そのことが受容できた時、あなたはの旧来の枠は壊れ、新たな価値観の世界に参入します。


今までの自分を壊すには、異質な存在によって無理矢理にでも意識せざるを得ない状況が最大に効果的なのでしょう。


嫌な人間や出来事を無視したり、避けたりするのも自由です。全部受け入れる必要性もないのは、先述した通りです(現時点の私の考えですが)。


けれども、自分を拡大し、成長するための神の恩寵ととらえれば、また違った観点からそれらを見ることもできます。


タロットカードの「太陽」、そして「太陽」と象徴的に関連のある「神の家」はこういうことも示していると私は感じています。


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