ブログ
もっと楽に・・・6月記事ベスト
タロットリーディングでは、タロットを展開したあと、あとでそのリーディング内容を検証したり、分析したりして今後の糧にするために、フィードバックする過程も大切です。
ということで、ブログにもそれを適用したいと思い、先月開始のこのブログも一ヶ月経過しましたので、6月のベスト記事10を列挙してみることにしました。
1位 「考えすぎる人のために」
3位 「お金とエネルギー」
4位 「幸せになるための視点」
9位 「タロットが人を選ぶ」
10位 「タロットの非合理性」
こうして見ますと、順位の高い記事は、一見、タロットのブログとは思えないタイトルばかりで(笑)、われながら妙な気分です。しかし読んでいただければタロットとつながることがおわかりいただけることと思います。
これまで一般的にイメージされているタロットの使い方とは違うものがあることを書いてきているつもりなので、こうした結果にも納得です。
そして、やはりこの読まれている記事の傾向から、皆さんは本当にあれこれと悩まれてしまって、動けない状態になっているのではないかと感じました。
「もっと楽に行きたい(生きたい)」と心では思っていても、現実には難しい・・・そんなジレンマに陥っている方がたくさんいらっしゃるのではないでしょうか。
私自身がついつい考えすぎて頭が固くなってしまう傾向がありましたが、それを見直すきっかけを作ってくれる(た)のもタロットです。
もっと肩の力を抜いてエンジョイできる方法を、今後ともタロットとともにご紹介できたらと思います。
こんな私でも「公務員辞めても何とかどっこい生きているよ、オレ」っていう感じですので。(苦笑)
一生懸命生きている皆様のために、少しでも心が楽に、あるいは生きる希望と自分の価値を高めてもらうためにも、タロットがその一助になってもらえればうれしく存じます。
それからブログをご訪問いただいた方には、改めて感謝を申し上げたいと思います。
今後ともよろしくお願い申し上げます。
「節制」のカードと「人を助けたい病」
タロットに「節制」というカードがあります。
このカードは「節制」という名前がついている通り、物事を少し制限したり、控えたりするような狭めるイメージとともに、もうひとつ大きな意味があります。
それはこのカードの絵柄を見ればわかるのですが、描かれているのは天使であり、そこから「助ける」「救済」ということも浮かんでくるのです。
カモワン版マルセイユタロットにおいて、天使はほかのカードでも描かれているのですが、単独で大きな姿で天使として登場しているのは「節制」のカードだけです。
このことからも、このカードが天使的な役割を強調していることがわかるでしょう。
ところが、タロットを展開する時、このカードが逆向きで現れることがあります。
カモワン流でのタロットの逆向きの解釈は「問題がある状態」と見ますので、この場合、「節制」のカードの意味において、何らかの検討されなければならないものがあると言えます。
それにはもちろんいろいろな意味とケースがあるのですが、今回は「救済」ということをテーマに焦点を当ててみたいと思います。
節制のカードが逆向きに登場し、それが救済をテーマとする時、結構多いのが「助けたい病」のようなものが相談者やタロットを展開した人にあるという場合です。
カウンセラーやセラピストなど人を癒したい仕事を志す人に、ままあるケースです。
自分は人を助けたいと思っているのに、なぜ天使であり、救済を意味する「節制」に問題ありと出るのか?
まずひとつには、単純に技術や能力が足りていないということがあげられるでしょう。
そしてもうひとつが、先述した「助けたい病」にかかっているという場合です。
「助けたい病」とは何か。
それは人を助けることで自分の満足を、いびつな形で得ようとしていることです。
いびつな満足ということがポイントです。
これは人を助けることで人から感謝してもらい、自分の足りない自尊心や不足感を満足させようとするものです。
つまりこれは、自分を助けてほしいことの裏返しなのです。
自分の満たされていない部分を、他人のためと思って何かを「してあげ」、自分の優位性を確認し、「自分は価値がある存在だ」と無理矢理高めようとしているわけですね。
また、かつて「自分が助けてほしかったのに助けてもらえなかった」「助けてあげたかったのに助けられなかった」という記憶が、「助けたい病」に向かわせることもあります。(これも欠けている何かを代償しようという行為です)
別に、これらのことが全部悪いというわけではありません。人のためになり、過去の償いの意味もあるからです。
しかし、自分の欠乏感・不足感・自信のなさ、不安の気持ちなどを補うために「人助け」を利用してはまずいということなのです。
そういう面では、やはりこれらも「能力不足」(助ける力の不足)の一つとなるのかもしれません。
そしてその裏には過剰な「助けたい精神(人を助けて自分の自尊心を補填する心)」や「極端な利他主義(自分の満足より、他人の満足を過度に優先し、潜在的に不足感を感じる心)」があると考えられます。
ただ人は最初から完璧にはできません。多かれ少なかれ、問題を抱えて生きています。
人を助け、癒す仕事をする人の中でも、私も含めて問題はもっているものです。
だからと言ってそれを無視して仕事に臨むのではなく、やはりきちんと向き合い、少しずつでも改善しながらやっていくことが大切ではないかと考えています。
あなたを頼って来てくれた人に、完全なことは提供できないかもしれません。それでもそのことで、あなたはまた勉強し、自分の技術や精神を向上しようと考えるでしょう。
結局のところ、人は助け合って生きているのだと思います。そしてこのこともまた、「節制」はその図柄にある「二つの壺のやりとり」で示しているのです。
タロットは視覚言語
近頃、漢字がアルファベットを使う外国人に人気らしいですね。
自分の名前を漢字に変換してくれるサイトもあるとか。
暴走族のペンキ文字風みたいな語呂合わせでないことを祈りますが、まあそうなるんでしょうねぇ・・・(苦笑)
それでも外国人には意味がわからなくても、なんとなく漢字の醸し出す雰囲気がわかることもあるらしいのです。
やはり漢字も、もとはといえば象形文字からといえますので、形自体に意味が込められていることを感じ取ることができるのでしょうね。
ところで、タロットも漢字と似ているところがあるのです。
似ているどころか、カードの中にはほとんど漢字と同じではないかと思えるものさえあります。
例えば、「禁」という文字がありますが、この漢字はタロットカード(マルセイユタロット)の「星」と符合するところがあります。
星のカードの図柄には、木が二本描かれています。その下には女神と思われる女性が謙虚に壺から水を流している姿があります。(タロット画像を見たい人は、ここをクリックして 見てください。一番上の段、向かって左から三番目のカードが「星」です)
一方、漢字の「禁」にある「示」の字は、神に捧げるための供物台から転じて、神に関係するものにつく文字となっています。つまり「禁」は「二本の木の間に神」と分析されます。
それは二本の柱で守られた神域や聖なる区域を表し(禁足地)、そしてまた「星」のカードも二本の木の間に女神が描かれており、そこは特別な聖域を「示す」のです。
ここにタロットカードと漢字に驚くべき共通性があることが発見できます。
このように考えれば、タロットはいわば漢字のような目で見て意味を伝える言語の一種(視覚言語)だと言えます。
漢字と意味的に似たところがあるのも、洋の東西を問わず、人類の普遍的なシンボルが、方や漢字、方や絵という形で表現されたものとも考えられます。
またへんとつくりの組み合わせ、漢字同士組み合わせによって、多種の新たな漢字と意味が作り出されたように、タロットカードも複数のカードの組み合わせによって、多くの意味を汲み出すことが可能となります。
さらには日本語の漢字かなまじり文のように、カード同士が何枚も連繋していくことにより、そのカードの間のストーリーも創造され、ひとつのまとまった文章として出現することもあります。
目で見て意味を瞬時に把握できる視覚言語は、複雑な情報も少ない形で伝えることができます。
タロットもまた78枚(大アルカナだと22枚)のみで、たくさんの情報を送り、伝え合うことができるのです。
愚者、その大いなる力
トランプで切り札として登場する「ジョーカー」という存在があります。このジョーカーに当たるのがタロットでは「愚者」と呼ばれるカードです。
もともとタロットからトランプが発生した(諸説あり、逆の説もあり)といわれており、両者の関連性はほかにも、特にタロットの小アルカナとトランプが似ていることなとが筆頭にあげられます。
それはいいのですが、トランプゲームでも反則技かと思えるほど、特殊な存在とオールマイティな力を発揮するのがジョーカーです。実はタロットでも同様なのです。
タロットとのコンタクトでとても大切なのがこの「愚者」との出会いです。
タロットにはタロットの霊(精霊)と呼ばれる何かの存在がいます。この精霊の代表とでもいうべき存在が「愚者」なのです。
愚者にはほかの大アルカナカードにはある「数」がありません。番号がないのです。これは逆に言えば何にでも(どんな数にでも)なれることを意味します。あるいはすべてを含んでいるともとれます。
こんなことからも、「愚者」がタロットカードの代表といわれる所以です。
タロットを展開する時、「愚者」が解決のカギを握っているようなら、それは非常に可能性を秘めているといえます。
なにせ、どのカードにもなれるのですから、どんな発展性があるのか想像すらつかないほどです。
そしてまた、あなた自身、愚者なのです。われわれは愚者として人生を歩み、大いなる可能性を目指して旅を続けているのです。
また一方では、本来「すべて」であった自分を思い出す旅をしているとも言えます。
愚者の道は発展的でありながら、回帰の旅でもあるのです。
カモワン版マルセイユタロットにはそのことが、大アルカナが並んだ図によって表現されています。
この図こそ「タロットマンダラ」と呼ばれる至宝の書物といえます。ユング派のタロット研究家も同様の図を個性化(心理学用語です、自己実現の道のようなこと)の過程として紹介しているほどです。
「愚者」に戻りますが、「愚者」は愚か者と書くように狂気や愚かさも含んでいます。そうしないと真理に近づけないからです。
たまにはいい意味でバカになれば、こだわっていた問題がすんなり解決するかもしれません。
意識的に空っぽにすることは、空いた分だけ多くの充溢(満ちあふれる状態)を生むことにもなるからです。
余談ですがうつ的な状態にある人、あれこれ考えすぎて悩んでしまっている人には「愚者」は最大の解決者だともいえます。カードを購入し、「愚者」を見ているだけで気分が晴れてくる場合もあります。
タロットの普遍性とエネルギー。神や仏と呼ばれしもの。
タロットは西洋のものなのに、なぜかとても仏教(密教)的なところが入っています。
それには理由があると想像できますが、今は深くは解説しません。私はお坊さんでも宗教研究家でもありませんので。(笑)
それでも、タロットには洋の東西を問わず、古来からの神々や精霊を表すようなカードが存在します。
おそらくそれは神々と呼ばれるような存在が、ある特定のエネルギーを象徴しているからなのだと思います。
それがどの民族で見ても似たような形象を取るのではないでしょうか。天使が菩薩に見えるようなものであり、どちらも似たような「感覚」が昔の人は感じとれていたのでしょう。
タロットのよいところは、それが特定の宗教に関係せず、人々の元型(誰しもが思う基本的なパターンや形)意識を刺激することができるからではないでしょうか。
簡単にいえば普遍(どこでも通じる)的ということです。
さて、先述したある種のエネルギーとコンタクトすることができれば、そのエネルギーの力を自分に入れることができます。
戦いに勝つために毘沙門天に祈るみたいなことは、そのエネルギーを自分たちに注入する儀式でもあったのでしょう。
タロットでも同じようなことが瞑想によってできる可能性もあります。本格的ではなくても、特定のカードを色濃く扱うだけで、そのエネルギーが入る気配があります。
私は目的に応じて、自分のカラーをちょっと変えたるためにタロットを利用することもあります。同じようなことは、関西タロット研究会のチームでもされている方がいらっしゃいました。
ただ注意点はバランスをとるということでしょう。闇雲にエネルギーを入れると、逆にそれにふりまわされることにもなりかねないからです。