花に希望を見る。
私が住んでいる関西では、例年より遅い桜の花が咲いています。いや、咲き始めていると表現したほうがよい場所もあるかもしれません。
3.11から日本で起こっていることに対して、多くの人が哀しみ、気分的にも沈みこむ日々が続いています。
そして昨日も東北地方で最大規模の余震があり、まだ不安があります。
このような中では、いくら経済活動をして日本を救おう、もう平常に戻るべきと伝えたところで、これは気持ちや感情の問題もありますから、理屈や論理だけでは変わらないところもあるでしょう。
ただ、たとえばあまり被害のなかった関西の人などは、この時期はお花見などして気分の転換を図られたほうがよいと個人的には思います。
それは日常に戻るということや経済活動的な意味合いもありますが、「花を見る」という行為自体が癒しにもつながり、エネルギーをもらえることにもなるからです。
それでも、「やはり派手なことは気になる」という人は、お花見のやり方や意識自体を変えればよいと感じます。
そもそも最近の花見は少し行きすぎたきらいもあったように思います。
私自身は実はこのところのお花見はあまり好きではありませんでした。
いや正確に言いますと、一般的な宴会形式のお花見が好みではないということです。
というのは、ブルーシートを広げて大勢の人で乱痴気騒ぎするかのような宴会や、ゴミをそのままにして立ち去る人などをお花見の会場で多く見ることで、いつしかお花見自体への嫌悪にも変わってしまったということもあります。
そういうこともあり、個人的な好みと意見で恐縮ですが、むしろ今年はそうした行きすぎのように見えた日本人のお花見に対しての変革を行うにはよいタイミングではないかと感じます。
桜の花は満開で咲き誇りますが、わずか二週間程度で散っていくはかなさ、潔さのようなものもあります。
だからこそ花に見る生命の尊さ、すばらしさ、人生になぞらえることができるのではないかと感じます。
そのことが日本人の心をとらえていたのではないでしょうか。
ですから今年は特に、ひとときといえど最大の輝きを見せる花を想い、命の大切さを感じ、生きることの喜びやありがたさを、「花とともに愛でる」という気持ちをもって「お花見」をすればよいのではと思います。
お酒を飲んで騒いで大いに楽しむのもよいでしょうが、情緒を味わいつつ、これからの希望を花になぞらえてお花見に出かけてみるのが今年には合っている気がします。
ちなみにお花見は作物の吉凶を占った行事だったと言われます。
タロットカードでは満開の桜は私には「世界」のカードのように見えます。お花見にもいろいろな形、楽しみ方、味わい方はあるでしょうし、それがまた「世界」なのかもしれません。
満開の桜の下で、ちょっとタロットで占ってみるというのも面白いかもしれませんね。タロットお花見会というのもやってみたいところです。
こんにちは。今更なんですが、出勤途中に満開の桜を見たもので…。
桜ではありませんが、王仁三郎さんの歌(お筆先だったかも?)に「三千世界 一度に開く梅の花 開いて散りて 実を結ぶ」とありますが、生と寂静そして再生、と花の持つ特性を見事に詠んでいるなぁと思います(しかもご神事としての意味までありますし…)。
お書きになっているように、本来の花見は厳かな意味も込められた行事だったんでしょうね。
タロットお花見会いいですね~
>マルセタローさん
コメントありがとうございます。
王仁三郎の歌、深いですね。
私は昨日妻とお花見をしたのですが、私の行った公園では、例年はあまり変わらないにぎやかさでした。ある意味幸せなことだと感じました。楽しみ方人それぞれとはいえ、尊厳あるお花見もたまにはよいかと思います。
タロットお花見会、今年は無理かもですが、来年は計画したいところですね。