何かを極めると見えてくるもの。
物事を極めていく道には、ひとつのことを徹底的にやっていく方法と、反対にいろいろなことを体験して統合化していくやり方があります。
もちろんそれだけではなく、様々な折衷タイプ、複合的方策というものもあるでしょうが、おおざっぱにひとまず分けてみました。
それで、その両方にも実は共通していることがあります。
それはもう上記の文章そのままなのですが、「共通」部分を探しているということです。
ひとつのことをコツコツと積み上げてある程度の到達・完成を見ますと、その分野の専門性をもって他の分野のことも象徴的に理解することができるようになります。
また多くの技術や別のことを学び身につけるにしても、どこかで知らず知らずのうちに全体の共通性を自分の中で確立しようとしています。
結局のところ、どちらも個別の道を通りながらも統合化を果たしていると言えましょう。
言い換えれば、自分なりの何でも適用できる「極めルール」や「法則」を作り上げているようなものなのです。
それができると、どんなことにも応用が「象徴的」に可能になります。
象徴的にとはどういうことかと言えば、例えば日本料理を極めた人が、ほかのフランス料理や中国料理においても、分野は違えど根本的な料理のことでは理解ができるということです。
料理だけではなく、家具職人の仕事にも何らかの理解を及ばせることもできるかもしれません。
何でもできるオーラルラウンダーの人も、そこに根源的な何にでも通じるルール(共通点)を見い出し、象徴的に自分の中に落とし込んでいるからなのです。
どこかの会社で優秀なCEOだった人がまったく違う業種でもCEOに就いて活躍することができるのも、こうしたことと同じと考えられます。
なぜこのようなことができるかと言えば、とどのつまり、世界(宇宙)は同じ要素で構成されており、究極的にはひとつであるからです。
そのことをどの分野でも、あるいは何事もこなしていく人においても、皆さん、無意識的(あるいは意識的なこともあり)に理解しているのです。(しかしながらタロットの教義では、この段階はまだ1/3に過ぎません)
逆にいえば何にでも通用するルールが、どの極めた仕事の中からでも生み出せるのならば、世界がひとつであることの証明にもなります
ということで、ひとつのことをやっていくにしても、いろいろなものを同時にしていくことにしても、大きな共通点を探していく、比較検討していくということは心がけた方がよいと思います。
これまで述べてきたことは、実はタロットを学ぶとよくわかるようになります。そしてタロットそのものも根源的なものに近づく象徴の道なのです。
コメントを残す