タロットは自分を映すのか?
このブログでは再三、タロットが鏡のように自分の心や意識を映し出す機能があると語っています。
仮にですね、そのことが嘘だとしましょう。
となれば、「心なんか映さず、ただ思いこみでタロットの絵を見て感じているに過ぎない」と言うことになり、タロットを見るのもばからしいということになってきます。
しかし、実は事の真偽が重要ではないのです。
タロットを見て、自分の心を見つめるという機会を持つ、その事自体が大切なのです。
極端なことを言えば、タロットが心を映し出す機能があるかどうかなどに関係なく、どんなものであれ、内観したり、自分を見つめたりする機会を作ることそのものに意味があると考えたほうがよいとなります。
第一、普段自分のことを鏡で見ることはあっても、自分が何を考えているのかとか、どんな心があるのだろうかなど、心理学にでも興味を持たない限り、なかなかそうしたことはやろうとしません。
またたとえ「よし自分を見つめてみよう」と決意して、一生懸命鏡を実際に見たとしても、そこに映し出されるのものはそのままの自分の物理的な姿・形であり、なかなか内面まで探ることは難しいはずです。
そこにタロットカードのような人物や出来事の絵が描かれている象徴的な絵があれば、これはやはり何もない状態よりも便利だと言えます。
ではタロットカードではなくても自分を内的に見つめられるような道具があればよいのではないかということになりますが、まったくその通りです。
ですからタロットにこだわらずとも心理的なカードでも、実際の絵画でも、風景写真でも図形でも人形でも可能です。
自分に合うもの、縁のあるもので自己と向き合う作業をしていけばよいと思います。
とはいえ、私が思うに、中でもタロットはやはり非常に優秀なツールだと感じます。
特にカモワン版マルセイユタロットの大アルカナは本当によくできていると思います。
このタロットは見ればみるほど、やればやるぼと気づきが増し、人間業とは思えない象徴体系が隠されていると受け取れます。
そして最初は自分を見つめたり、ある知識をタロットに照らし合わせて理解していったりするのですが、やがてそれはタロットを通して実感へと変わってきます。
この「実際に感じる=実感」こそが、真の理解と把握につながっていくのです。
別の表現では「腑に落ちる」と言ってもいいでしょう。ストンと入ってくる、まさに「ああ、そうだったのか」「なるぼと!」となるほどのもので、ある意味衝撃でもあります。
不思議なことに、それは生身で感じる経験と非常に似通ったものになってくるのです。
あるいは今まで体験したこと、自分の中に入っていたものを思い出して追体験し、さらに深い意味をともなって「いのち(生命)」を持つようになってくると言っていいかもしれません。
そう、まさにタロットは自己に眠る智慧や経験を息づかせる作用があるのです。
そうなると、もはや自己を見つめるということを超えて、新しい自分に出会うことにもなってくるのです。
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