生徒と先生
私の持論に、「みんな先生であり、生徒である」というものがあります。
私たちはいわば、この世界で大きな学校に入学して学んでいるようなものです。
しかし実際の学校と違っているのは、先生と生徒というのが固定されていないということです。
誰しもがある時は先生となり、ある時は生徒となります。上下という意味での教壇もなく、ある意味すべてが教壇であり、受講する教室でもあるということです。
しかも科目は無限に存在し、同時に受講可能です。
こんないい学校はありません。(笑)
でもみんな、通信簿の基準がわからないのです。成績はいったいどう評価されるでしょうか?
このことはまさしく神のみぞ知るかもしれません。
しかしながら、少しはうかがい知ることができます。
それはまずは私たちが生きている世界での決められた評価ではないということでしょう。
一応ですね、どの教室でも運営のためには決まりやルールがあります。
ですが、それはあくまで運営や教室・学校での過ごし方に関する「校則」みたいなものなので、自分の成績とは関係ありません。
でも校則なので「拘束」があります。(しゃれではありませんが(^_^;))
その中で自分が評価されるのは、実際の学校でも「校則をきちんと守ったこと」ではありませんよね?
私が思うに、成績や評価というものは、いかに人生を充実させたかということにあり、究極的には「愛」が最大の基準ではないかと想像しています。
どれほど愛を学び、表現できたか。
これによって言ってみれば成績が決まるというものです。ですがそれは人と比べる相対評価ではなく、自分自身の絶対評価ではないかと思っています。
人には個性があり、それぞれが違う部分をもっているのが「世界」です。
なぜ人が違うのかと言えば、「すべての人は生徒であり先生であり、この世が学校である」と見れば理由はわかってくるでしょう。
あえて説明はここで止めておきますね。
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