自分の師を持つ
昨日と少し関連する話になるかもしれません。
昨日の話の中で、「社会は与え、与えられることによって成立している」ということを、タロットカードになぞられえて指摘したところです。
そうすると、以前にも書きましたが、自分がまだ未熟な部分や知識不足なところは、ほかの誰かから学べばいいということになります。
教えを乞い、学びを受けるのです。
ここで私も含めて、男性にありがちなのが「妙なプライド」による抵抗です。
曲がったプライドとでも言いましょうか、そのために素直に学べない心が生じます。
男性は基本、全員「教えたがり」のところがあります。なぜならば、男性的エネルギーは流出や突出、外に出すという性質だからです。
しかし、出すものがないと出せません。(本当はそうではないのですが)
それが知識であることが多いのですね。出せる知識があること、すなわちこれが男性自身を自覚できることであり、まさにプライドにつながるのです。
このことはマルセイユ版のタロットカード「神の家」を見ればよくわかります。
しかしながら、その変なプライドにこだわっていては、学びの機会を大幅に損していることになります。
一応男性を例にはしていますが、女性でも誰でも、またプライドとは関係なくても、知らなければ学ぶというスタイルは素直に取っていけばよいと思います。
そして、私がタロットの受講者さんにもお勧めしているのは、「師」「先生」を複数持つということです。
もちろん、「この人こそすべての私の理想であり、先生・師匠・メンター」だと思う方もいらっしゃるでしょう。いわば人生の総合的な師です。
ですが、なかなかそのような人にはお目にかかれません。人は誰でも欠点に見える部分を持っています。
ですから「この人が理想」だと思っていると、自分が観たくない部分を時には見てしまい、幻滅するということもあり得ます。
その人への幻滅だけですめばいいですが、自分の人生そのものを狂わせてしまうことすらあります。
いわば一本の柱だけに寄りかかっていたら、それが崩れた時、すべてを失うがごとくになるということです。
この世界は多彩です。色んな人がいます。だから「色々」なのです。
そのことを考えると、それぞれの分野別で師匠や先生を持てばいいのです。
仕事の師匠、趣味の先生、生き方やあり方の師、ファッションの先生、旅の達人、パソコンの指導者、集客の講師などなどです。
まあ、「師」や「先生」ですから、あまりにたくさんいても逆に混乱してしまうかもしれませんが。
私は、だいたい4人くらいのマスターを自分の中で持っているといいのではないかと考えています。それぞれ分野を違えれば、なおよいかもしれません。
実際にお会いして学びを受けるのが一番ですが、今の時代、様々な方法があります。
インターネットを通じてもありですし、相手と知り合わずとも、その人の著作を読んで薫陶を受けていくというのもありでしょう。
そうすると、過去の人でも師となりえる場合があります。だいたい宗教はそのパターンですね。
そして一時期先生であっても、あなた、あるいは相手に変化があればその立場も変転していきます。ですから「一生、師とする」などと、かたくなに思い込まないことです。(尊敬と感謝の念をずっと持つことは大事です)
結局、あなたの周りの人や事柄はすべて先生でもあるのです。
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