自分と違うタイプの人とのつきあい
私自身もそういう傾向にありましたが、人によっては、少し石橋を叩いて渡るような慎重な気質の方がいますよね。
反面、タロットでいえば「愚者」タイプといえるような、もともと自由を好み、とにかく行動してみるという性質の人もいらっしゃいます。
何度もここで説明しているように、人にはあらゆる気質が潜在的に眠っていて、その時々に発現されていきます。
ただそれでも、生まれ持った性質や、育ってきた環境、社会からの影響などによって、ある気質に固定がちになります。
上記で挙げた2タイプの気質の人は、相互に魅力を感じ合い、友人やパートナーとして、相補の(相い補いあう)関係で無意識に選択している場合もあります。
また、タイプが違うため、双方にいらだちや時には怒りを感じることもあります。
慎重なタイプの人は、自由闊達に行動する人に対してあこがれを抱く反面、そうできない自分に苛立ちを感じ、自由過ぎるように見える相手に対して怒りや嫉妬を抱きます。
自由タイプの人は、「なんで動かないの?」「なぜ自由に生きないの?」と、やはり別のタイプの人に苛立ちや怒り、哀れみみたいなものを感じてしまうこともあるでしょう。
結局それは自分自身への感情であることが多いと言えます。
ただ、ここで大切なことは、別タイプの人とあなたは根源的に同じではあるのですが、まったく個人としては別でもあるという認識です。
自分と同じことを求めるのは、お酒が飲めない人に「お酒はおいしくて楽しいよ」とお酒を強要するようなもので、行きすぎた自分の押しつけは、相手にとっては苦痛でしかありません。
今、できないものはできないのです。
前にもお話ししましたが、上から目線で「あなたにもできるよ!」「あなたも私のようになれるよ!」と語っても、双方に大きな隔たりや気質の違いが際だっているのなら、その壁や段階はやはり長大であり、大きな重圧として相手にのしかかってきます。
最初は相手に対してあこがれで入っても、自分に益するところがない、自分とは違いすぎる、私のことは思ってくれない・・・というようなギャップを大きく感じてしまうと、とたんに手のひらを返したかのように、愛は憎しみにも変化してしまいます。
ではどうすればいいのかですが、つまるところ、自己認識、自己洞察につきると言えるでしょう。
他人と比べてその違いに嘆くのではなく、同じ人間だけれども、個性の表れ方が違うのだと思うことです。
私は私、人は人ということです。
これができるようになるのには、自分で自分を認めるしかないのです。
それが自己洞察、自己認識によって得られていくのです。
昨日も書いたように 、人と比べることは「自分にフィードバックして自分を知るために利用する」のだということですね。
そして人に何かを伝えていく人は、特に自分が自由タイプの方は、慎重タイプの人に対して暴言になっていないか、気をつける必要があると感じます。
ともすれば「あんただからできるんだよ」と思われがちになるのです。
皆さんは本来タロットカードでいえば「愚者」なのですが、これは逆説的になりますが、普通に生きている限りでは「愚者」ではないのです。
人は「愚者」になれない強烈な悩みと苦しみを奥底で抱えているとも言えます。
自由、つまり「愚者」に人一倍あこがれながら、社会の中で自分の中の「愚者」を押し込めてきた人というのが、実は私たち多くの者でもあるのです。(ゆえに普通の人から見れば「愚者」は愚者となります)
ですからタロットでいえば「太陽」、つまり同じ目線や段階に降りていく姿勢が大切だということになります。
あなたには楽々と飛び越えられる溝でも、その人には一級河川の大河のように見えていることもあるのだということを忘れないようにしたいものです。
最初に「人にはあらゆる気質が潜在的に眠っている」と書いたように、タイプや気質が違ってもわかりあえないわけではありません。
あなたにすべてがあるのなら、すべてを理解することも潜在的には可能だからです。
それでもそれには段階や距離・表現の違いがあり、それが個性でもあり、そしてそれぞれの個性を尊重しつつ、人との違いから逆に共通点と和合性を見い出し、自分をさらに全体へと統合していくことが求められていると言えましょう。
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