気になる人の鏡作用
昨日の続き です。
気になるというのは、同じ氣に気がついているということでもあるのだというお話をしました。
そしてそれはつまりは、自分も同質のところがあるために「ひかれあう」ということにもふれたところです。
では、なぜ人はそれぞれ違うのに、同質のところがあるのでしょうか?
特に嫌いと感じている人にはとても同じ部分があるとは思えませんよね。
ところがつきつめれば、やはり相手とあなたの間には同質のものがあるのです。
それは昨日も言ったように、人には等しく、大きくいえば「氣」があり、さらに別の観点でいえば四大元素があり、さらに見方を変えればタロットの22で表される個性や心があるからです。
これらの出方が人によっては当然違ってくるのですが、いわばそれが個性です。
しかし、つまるところは表現の違いだけであり、結局は同じもので構成されています。
たとえば傲慢で勝手な人だと誰かについて思っていて、その人のことが気になるのなら、やはりあなたにも似たところがあるのです。その出方・現れ方が違うか、または表に出てきていないか、気がついていないかです。
現れていないと言いましたが、人や立場・環境が変われば、あなたが人に感じたネガティブな要素と同様のものを表現している可能性は大きいのです。
たとえば、私の場合でも、「あの人は上から目線だよなぁ・・・」とある人に感じたことがありました。
そしてある日別のことで、家で妻から、「どうも、その、あなたの上から物を言うような言い方は嫌だわ」と指摘されたことがありました。やっぱり私も同質のところがあるのだと気がつかされます。(^_^;)
「自分は絶対あんな嫌な人とは違う」と思っていても、「気になる」という時点で自分の同質のものが引き合っているのであり、もっといえば鏡作用としての天からのメッセージだと言えます。
嫌に感じていたとしても、「あまり気にならない」という場合は、それほど自分のその部分の出方としてバランスを崩していないとも予想できます。
たとえ出ていても「気にならない」程度なのですから、あなたが出しているその部分も、誰かにおいても「気にならない」ものだと安心することもできます。
逆に先述したように、「気になっている」のなら、まさに「鏡」として、あなたも誰かに同じように「気にされている」のです。
このように鏡作用は二重に働いています。(自分が同じものを持つこと、そして自分も自分が相手に感じたそのままのことが、誰かに感じられているということ)
まさにタロットでいえば、「月」と「太陽」のカードであり、この二枚の考察によって本当の自分を取り戻すことが語られているようにも思えます。
有り難いことに、私たちは自己修正できる機能の世界に住んでいるのです。そのことに気がついた時、いわば「審判」のカードに象徴されていることに思いは至るのです。
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