世界の鍵穴を開ける
今まで常識だと思っていたこと、普通にセオリーとして疑いもなく使っていたこと、信じていた知識が、あることで根本的に崩れたとき、雪崩を打ったかのように次々と信念が瓦解していくことがあります。
しかし、この場合の信念は、実は幻想に近いもので、ただ正しいと自分が信じていた、あるいは疑っていなかった(気にもとめなかった)だけのものなのです。
この点、一般的な意味であまりよく思われていないタロットのカード、いわゆる凶札と呼ばれるものは、実はこうした自分の信念や価値観とつながっており、反対にそれが失われることの恐怖や不安、あるいは信ずることでの安定感や安心感とも関連することになります。
具体的にいえば、「13」(一般的には「死神」)、「悪魔」、「神の家」(一般的には「塔」)などのカードです。
私自身はタロットカードにはいいも悪いもなく、すべては中立・ニュートラルなものだと考えていますので、特定のカードに吉凶を判断することはしませんが、上記で挙げたようなカードが一般的にネガティブに意識されることが多いのは、もちろん絵柄からもありますが、自分の信念の崩壊や欺瞞につながってくるからだとも考えられます。
言ってみれば、「人として避けたいこと」「見たくない部分」なのです。
けれども、それを受け入れる、認識するようなことに進んでいくと、いかに自分が小さな存在であり、自分で自分を欺してきたかということがわかるようになってきます。
「小さな存在」だと書きましたが、人は本当は「神」であり、「完全」なので「大きな存在」です。
しかしいわゆるエゴのような別の自分が自分を小さく押し込めているのですね。
ですから正確には「小さい自分に気付いた」というより、「自分が狭い世界に住んでいたことを知った」ということになります。
ただ、この「狭い世界であった」ということを知るには、自分が一度狭い世界の中に入らねばなりません。
入って出たからこそ、「狭かった」と感じるのです。
この、「狭い世界に入ること」が、まず何かを自分の信念として打ち立てるということでもあるでしょう。何かを信じて選択し、動き、それに応じた結果を出していくと言い換えてもいいです。
そして、その後に自分の信念を壊す新し価値に出会い、やがて狭い世界から出ることになるのです。
おそらく、人生はこの繰り返しだと思います。
何重にも張られた世界の枠を、その都度はずしていき、解放していくことに人生の面白みもあると考えられます。
枠を破る(開ける)鍵は自分だけが持っているのではなく、社会や他人からのものもあるでしょう。
自分の鍵穴が変化した時、その(鍵穴に適合する)鍵を持つ人(信念・価値観・事柄でもあります)が差し込んでくれるということです。
ということは、鍵穴を変化させる努力を、自分がしていかねばならないということでもあります。
何もせず、ただ漫然と過ごしていてはなかなか鍵は開かず、それこそ狭い世界に引きこもったままとなるでしょう。
それがたとえ本人にとっては心地よいことであったとしても、です。
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