月のカードから 感情について その1

マルセイユタロットの「」のカードを見ていると、普通では思いつかない、あるいは見えない事柄が浮かんできます。


といっても私の場合、何かが見えてくるというのではないです。


カードからのインスピレーションのような形で「感じる」「わかる」というものですね。(これは最初からではなく、カードと長く接していると自然にそうなってきます)


今日はその「月」のカードから得られた話のひとつを書きます。


月は感情と結びついているということは聞かれた人も多いでしょう。


占星術をされる人は、月が感情を象徴することは知っていると思います。太陽の光を受けて輝く月の受容性・反射性などからもそれは想像されることです。


ところで私たちは生身の人間である限り、感情に支配されがちです。いや、感情があるからこそ「人間的」だとも言えますよね。


しかしそれなのに、「感情的になることは悪いことだ」決めつけられているようでもあります。


私たちのイメージでは、「悟った人」「賢人」のような人物は感情をコントロールすることができ、いつも平穏な心でいられる人だと思っています。


本当にそうなのでしょうか。やはり悟った人ともなれば感情を超越していそうなので、そうなのかしもれません。


ただ私たち普通の状態にある人間は、感情を抑制するとあまりよくないことがあります。心の奥底に抑えられた感情は、マグマのように溜まっていつか爆発しようと機会をうかがうことになるからです。


これはただ抑えているだけでコントロールしているわけではありません。圧縮している分、非常に圧力が高く、いつか暴発する危険性があります。


爆発しなくても、無意識のうちにずっと強く抑えていますので、それだけ知らず知らずにエネルギーを浪費していることになります。


このため、全力で物事に立ち向かえない弱さ、何かに依存する心が生まれたり、逆に自分を過剰に意識して他者を支配したりして気を紛らすことすらあります。


ゆえに感情を抑圧することは自分にとってよくありません。


悲しければ泣き、腹が立てばを怒りを表し、うれしかったり楽しかったりすれば笑えばいいのです。


アニメ「エヴァンゲリオン」で、感情のないクローン人間である綾波レイに対して、「笑えばいいと思うよ」と言ったシンジ君を思い出します。(これはちょっと意味が違いますが・・・(^_^;))


とはいえ、感情を表出するとしても、時と場合があるのも事実です。所構わず感情を露わにしてよい社会状況でありません。特に日本では、です。


それでも必要以上感情を抑えていないか、改めて確認してみるのはよいでしょう。


笑っていい時なのに、かっこ悪いからといって笑わない。泣いても別に悪くないはずなのに我慢している。


こんな場面はないでしょうか? 性別(男だからいけない、女だからダメ)の制約も結構あります。


やはり感情を表すことがしやすいのは、安心して自分を出せる人がいるかどうかという点も大きいでしょう。


やはり人は人によって救われるのです。


そうした人がいない場合は、セラピストなどの専門家の力を借りたり、映画やドラマ、本、芸術作品などで感情を表出させることも可能です。


長年感情を抑えざるを得ない環境(親や配偶者、職場などの影響で)にいた人は、かなり感情を表すことそのものをセーブする強固な仕組みが出来上がっています。


このような人は、少しずつコツコツと雨水が壁を壊していくかのようにやっていく必要もあります。


こうした人は「私には無理だ」と最初から否定したり、反対に「私は感情的に安定している(実は感じていることを感じないようにしているだけなのですが)」とさえ誤解していることもあるからです。


少しくらいやって効果がないからとすぐにあきらめてしまう場合もあるのですね。ですから少しずつ壊していくことが大切なのです。


ただ、壁にもある種のポイントがあり、そこを刺激されると一気にダムが壊れ、感情の激流が放出することもあります。(溜まっている分、あまりに流れが大きい場合があって慎重さがいることもあります)


溜まっていた感情を追体験のように味わうと、たいていは涙のカタルシスとなって現れ、流れていきます。感情と涙は非常に密接に関連しています。(タロットカードに描かれている「月」のしずくも涙に見えます。ただし、この「水滴」には別の原義があります)


月のカードと感情についての話は、まだ先があります。今回本当にお話したいのは実はそのことなのですが、長くなりましたので、それは次回にいたします。

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