技(わざ)の伝達
私自身は武道をやらないのですが、結構好きなところはあります。
先日の旅の話でも登場しましたマルセタロー氏は武道にも造詣が深く、私も時々氏の宅で氏がコレクションした武道のDVDなどを見せていただくことがあります。
そうすると、いかにも達人という方が出てこられるわけですが、その人たちの技は本当にすごいものです。トリックでもあるのかと疑うほどです。
技が極められるとそれはマジック・魔術と変わらなくなってきます。
このあたりはタロットカードの「手品師」、一般的なタロットの呼称では「魔術師」という名称のあるカードを合わせて考えますと興味深く思えてきます。
ただその弟子筋の方達が、達人の技の域に到達しているのかといえば、残念ながらたいていは一代限り、その人自体がすばらしいで終わってしまうことが多いようです。
これは武道に限らず、精神的にも社会的なことでも結構あるように思えます。
開祖・教祖と呼ばれるような人、ある技術や教義・思想を創始した人、ビジネス手法等で独創的かつ際立つ手法を編み出した人などは、確かにいずれにしても卓越したものをお持ちなのですが、今度はそれを広めていく段階に入ると、どんどん最初にあったものが薄まっていくような気がします。
結局、非常に優れた技や技術というものは、技術そのものよりも人によるところが大きい部分があるのではないかと考えられます。
もちろん計算可能な物理的な分野などでは、優れた技術はきちんと劣化せずに受け継がれていくものなのでしょうが、職人芸という言葉もあるように、物理的なことであっても、人(個人の技)による部分は無視できないものがあると思います。
実はタロット(リーディング)でも同様のことがあるのではないかと感じています。
すごいリーディングの技術、展開法(スプレッド)などがあったとしても、それを縦横無尽に使いこなすには、その技術を開発・発見した人か、何らかのインスピレーションを得て特化した技を持つような人に限られるように思います。
ここに「技術を教えていく」「伝達していく」という点で考えなければならないことが出てきます。
それはあまりにも特異な、人(個人の能力)に依拠した技術は、多くの人に同レベルの技として伝えきることができないということです。
創始者が出来るからと言って、誰でもできると勘違いしてはいけません。
創始者、伝える人とまったく同じ内容やレベルで自分も習得できるというのは幻想です。ただ、必ずしも劣化するということを言っているのではありません。
伝えられた時点で、厳密にいえば、もうオリジナルではなくなるのです。それは受けた人の解釈・思想が必ず入るためです。
人は全員違っています。ですからまったく同じように感じるということはありえません。
従って、創始者の考えや技術は純粋にそのままコピーということにならず、受けた人の思いが入った別のコピー、いや融合・創造されたものになって行きます。
その時点でオリジナルの技術レベルそのものとしては劣化していることがほとんどですが、しかし逆に融合した分、新しい発想や技術も生み出される可能性も内包していると言えます。
受け取る人の知識や別の技術のレベルの高さによっては、オリジナルを超えることも十分にありえます。
よくこういうことがあるでしょう。
師匠のもとで一生懸命学んでいたお弟子さんたちの前に、突然まったく別系統の人が現れ、師匠としばらく過ごすうちに、なぜかその人が師匠から後継者として名指しされてしまったというようなことが。
お弟子さんたちは「自分たちをさしおいて、どこの馬の骨ともわからないヤツがどうして!」と憤るでしょう。
しかし実はその馬の骨の人こそ、別の分野での達人であり、そのことが師匠にはすぐわかったために、後継を託したということです。
つまり、ほかの分野を極めている人は、極めた者同士相通じ合うところがあり、技術的にも同様な(理解が早い、響き合う)ところがあるのです。
このように技術を受ける人が相当の次元にある(他分野や知識等で)場合は、理解や融合も早く、その伝達スピードも速くなるばかりか、複合して新しい技術へと発展していくことも期待できます。
そのことからも、やはり技術も人によることろが大きいのだということでしょう。
これとは別に、普遍的に有効な技術をたくさんの人に伝えていくということもあり、それは人というよりも技術が大切になり、これはこれで技術を生み出すのは大変に難しいものだと思います。
コメントを残す