開き直ること。
タロットカードの「愚者」という存在は面白いものです。
大アルカナの中で特定の数を持たず、何物にも規定されない自由さは見ているだけで、まさに「規定外」のことや常識とは異なる発想を思い描かせます。
そして今日、「愚者」から出てきた言葉は「開き直り」(笑)です。
開き直った人間ほど強い者はいません。
「開き直り」という言葉は、もともとは「態度を改め反省する」という意味合いがあったようですが、およそ今はそのようには使われていませんよね。
むしろ「悪いことをしても開き直る」みたいに、よくない態度や様に使われるほどです。
それでも、現代の一般的な使われ方の「開き直り」にもよいことがたくさんあると思っています。
まず精神的に「開き直る」と楽になります。開き直ると人間は覚悟を決めたり、何が起こっても動じない気持ちが起こったりして、先述したように強くなります。
しかしながら、なかなか普通の人は簡単に開き直れません。開き直るほどの事態は、逆に結構追いつめられているとも言えるからです。
そこで今回私が提案したいのは、自分の欠点(と思っている)部分、あるいは自分の「いいところ」ではあるものの、ちょっと特徴的であり過ぎる点を「開き直ってみる」ということです。
たとえば、私はだいたい人に会うと(会う前からですが)「まじめですよね」と人から言われます。
自分自身はそんなに言われるほどまじめではないと思っているのですが、まあ外見の印象からもそうだろうと思いますし、公務員をしていたくらいですから堅い雰囲気であるのも当然だと自分でも思います。
昔はそう見られるのを崩したくて、いろいろと不真面目と思われることをやってみたり、おちゃらけようともしたり(笑)したのですが、それは無理があると自分で気がつきました。
そしてある時から開き直りました。まじめな(に見える)ところが特徴だし、それでいいのだと。バカボンパパではありませんが(^^;)、「これでいいのだ」です。
ですから人から「まじめですよね」と言われても、「そうですね」とそのまま受け入れています。開き直る心の声としては「まじめですが何か?」という感じでしょうか。(笑)
またたとえば解放や自由、広い心というものが私のような仕事をしている者には求められるわけですが(人にもそう伝えているところですが)、まじめさは時にそれを阻むことがあります。
そのことはタロットを見ながら少しずつ広げていく努力もしているのですが、もともとある堅いまじめな部分がこだわりとなって、急にはできない場合もあります。
これに少し前までは劣等感情を抱いたり、自由に伸び伸び簡単に自分を解放していく人たちに嫉妬を抱いたり、批判的な目を向けることもあったりましたが、それも自分の特質だと認めていくと一種の開き直りになり、自分のペースでよいのだと気楽に思えるようになってきました。
まあ今でも完全に気楽になれるわけではありませんが、以前とはかなり違ってきています。
つまり、開き直りとは自分を認めることにつながり、それは生き方として楽になる方向なのです。
これと勘違いしてはいけないのは、自分を認めていないまま、あるいは自惚れ・過信によって開き直るというものです。
欠点を隠したまま開き直るみたいなことですね。
過信と不信はともに自分への信頼のなさからから来ています。誰でも自分を全面的、あるいはすぐに信じるようなことはできませんが、少しずつ、いいも悪いもあるのが皆自分だと認めていくとよいと思います。
そのひとつの方法が自分の特徴を(認めつつ)開き直るということです。
そうして「愚者」のように一歩前へ身軽に進んでいくことができるようになるのです。
真面目とってもいいと思います!
そこが魅力だと思います。
>ロック大好き☆ことだま師×絵本セラピスト みなこ@愛知一宮さん
ありがとうございます。
きっとみなこさんも真面目なところがあって、そこは素敵で魅力になっているのだと思います。