リーディングの鏡作用
さて、実は昨日の記事はこのことを書こうと思っていたのですが、なぜかまったく違うものになってしまいました。
私の記事はほとんどインスピレーションでネタは取ってきています。
「今日何を書くのか?」ということはタロットを想像すれば降りてくるという感じなのですね。逆にある言葉やひらめきが降りてきて、そのことがタロットに結びついていると思考できることもあります。
余談はさておき、本題です。
昨日は感覚と知識による両方のリーディングが必要ですよ、というようなお話をしました。
ここで感覚と知識ということでは、皆さんがあまり普段は意識したことがないタロットリーディングの発想・考え方をご紹介します。
それは「今の自分のリーディングは、まさに自分を投影したリーディングを行っている」ということです。
あなたが人をリーディングする時、それは現在のあなたの意識レベル、問題、注目、関心に応じた情報として読み解く傾向が強くなります。
感覚においても、また拾い上げるタロットの象徴の知識(自分がその時気付くタロットの象徴と意味)においても、自身の今の状況が色濃く反映するのです。
たとえばあなたが自分の変革に関心がある状態ならば、やはりそれに応じたカードの読み方になりやすく、変容を意味する「13」や、大いなる摂理と開始・変化を意味する「神の家」などが強く感じたり、「変化」とは通常思えないカードでもそのように見えてしまったりするということです。
それならば客観的にリーディングできていないではないか、リーダーが偏っていては相談する人がかわいそうだと思う人もいるかしもれませんが、私はそういうことではないと考えています。
そもそも純粋に客観的なリーディングというものはなく、すべてどこか主観的なのがタロットリーディングです。
実はリーダーの課題・テーマはクライアント(相談者)と共有するところがあり、現実として全く違うように見える相談でもリーダーとクライアントは奥底ではつながっていると考えます。
むしろクライアントがリーダーに相談に来るのではなく、リーダーが自分の問題を解決したり、課題を見つめたり克服したりするために呼んでいるのだとも言えましょう。
おそらく両者の目に見えない求め合いが、ある根源的な象徴やエネルギーとつながり、縁とタイミングによって相談者(クライアント)とリーダーとの立場となって相まみえるのだと想像されます。
従って、自分の注目や関心の傾向でリーディングしてしまうのも悪いわけではなく、ある意味自然の流れと言ってもいいかもしれません。
そしてクライアント側も、リーダー自身の傾向にリーディングされる何かを必要としている可能性が高いのです。
もちろん詳細に、高次にリーディングできればそれに越したことはありません。純粋に技術の問題もあるのは事実です。
しかしながらリーダーの読みに応じたクライアントの傾向というのもあると考えられます。
たとえば技術が基準以下で低いというのなら問題外ですが、ある程度のリーディング技術を伴いながら、この時ははっきりした回答がクライアントに与えられなかった、気づきをもってもらうことができなかったと嘆く場合もあるでしょう。
それでも、それはクライアントにとってはむしろ明確ではない、はっきりしないほうが良かったということ自体が回答だったのかもしれないのです。
そしてリーダー自身も現在、そのようなテーマ・状態にあると見ることができます。
タロットリーディングはいろいろな意味で、まさに心の鏡なのです。(「月」のカードは、そのことをもっとも象徴しています)
それゆえ、人をリーディングすることは自分をリーディングすることに等しく、真剣になればなるほど、自分にもそれに応じた神の恩恵とでもいうべきものが降り注いでくるのです。
本当にそうなんですよね お客様にリーディングしてるのですが 自分に言ってるようになりますからね。
それは人を癒しているのかな 自分の為にやってるエゴなのかなって 悩んだ事もありましたが今はそれも縁なんだと感じています。
>メール相談☆ケイさん
コメントありがとうございます。
おそらくエゴのまったくないリーディングというものもないと思います。ですけども、おっしゃるようにそれも縁かもしれず、エゴも入りながらも、相談者のためという気持ちは確かに息づき、その思いが自分にも相談者にも関係するリーディングになってくると考えられます。