星と世界 私たちは宇宙人か。
この前、少し講義まで時間がありましたのでスタバに入って講義のイメージングをしたり、手を放してボーとしたりしておりました。
するとふいに、「どうして人っておよそ自分の考えとは違う人が結構いたりするのだろう?」という素朴な疑問が浮かんできました。
もちろんそもそも性別の違い、年齢、国籍、育った環境など人はまさに様々であり、そこから生み出される価値観の相違によると言ってしまえば片が付くわけです。
しかしそうしたものとは別に、よく観察しますと「類は友を呼ぶ」と申しますか、似たような価値観や人間性、好みで人はまたグループを形成しているように思えます。
そしてそのグループにおいては、明文化はされていませんが、あるルールや規則が存在しているように思えます。
さらにいえば、そのルールや規則のようなものは、他のグループにはまったく通じないと言いますか、相容れないものとなっています。
地球という星の中で細かく国に分かれてその国別に独自の法律やルール・習慣があるように、私たちの世界にはある種の目に見えないグルーピングがあり、そのグループにおいて適用されるルールがあると想像できます。
そのグループとはいったい何なのだろう?と再び私は考えました。(「同じ価値観で結ばれたもの」といえばこれもそれまでですが・・・)
で、何気なくタロットをイメージしてみますと、頭に「星」が浮かんできました。そういえばここはスターバックスです。スタバのシンボルとタロットの「星」は共通するところがあります。
さらに天上を見上げるとライトが17個(タロットの「星」のカードの持つ数)ありました。極めつけに、スマホに入れているマルセイユタロットアプリでタロットを引いてみると、出てきたカードは「星」でした。
こうなると「星」が何かを示しているのは明らかです。
星・・・「そうか!」と私はある発想を得ました。
よくスピリチュアルな世界では言われていることがあります。
それは私たちは地球人でもありますが、それぞれある特別な星(星団や銀河、星系)と関係し、そこから転生もしてくると考えられているものです。
先述したグループをそれぞれある星に関係した人のグループだと見れば謎が解けてきます。
おのおのの星々では精神や文化の発展度合いも違い、様々に常識価値観も異なっていると見ます。
つまりはその星の人間性・価値観の魂をもった人が地球に同時に集まっているのだと想定してみるのです。
そうすると、まるで仏教の六道輪廻の世界の住人が、一緒(同時)に人の姿をして存在している世界が地球のようなものとなってきます。
レベルがまちまちのまま、一緒くたに生活しているようなものです。しかし、やはりその中でも同じ星の匂いをかぎつけるのか、類友法則のように同種のレベルでグルーピングがされていくようです。
そして私たちの国ごとでも正義が異なるように、その星で正義とされていること、常識と思われていることでも他のレベルの星から見れば、不正義、非常識となるでしょう。
ほかにもある星では楽しいこと・知的なものと思われているものでも、別の星ではもう卒業したこと、野蛮なものと映ることもあるかもしれません。
こうして考えると、地球は決して共通のルールで動いているわけではなく、また同じ規則で裁かれるわけではないのかもしれません。
従ってある人が悪いことしているのになぜか見逃されているように見えるのは、行為がその悪い人のレベルの星のルールからするとOKではあるけれども、見逃されていると思う人の星のルールでは裁かれるべき性質のものなので、そう感じてしまうと考えることもできるのです。
なぜか私たちの地球では、地球に住む人間としての実際ルール(明文化されている法律や規則など)以外では、そのグループともいえる星のルールがそれぞれ適用されるみたいです。(笑)
なんて理不尽な!と怒る人もいるかもしれませんが、考えてみればそうした一緒くたの世界(笑)という非常に希有な時空間に生きているのが私たちでもあると言えます。
魂の成長の面でみれば、ある意味ラッキーなことなのかもしれません。なかなかそうした複層的価値観が同居する世界を経験することはまれでしょうから。
こうして考えると、「星」のカード以外にも私には「世界」のカードがイメージされます。「世界」のリーフの意味も今までとは別の意味でわかってきたような気がします。
まあ、このような世界に生きるということは、楽しみながら学ぶ気持ちで、多様な世界観と価値観を認めていくことが楽になる秘訣なのかもしれませんね。
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