解決策や答えを出す必要性について
私はもともとカモワンタロット(カモワン版マルセイユタロット)を教えておりました。
カモワン流の独特の展開法のひとつの大きな特徴として、解決カードを置くという技法があり、このためにリーディングは比較的具体性を持ち、問題を放置しないという傾向になります。
しかし、それにあまりにごたわり過ぎると、「必ず解決策をタロットから導かねばならない」という縛りが自分にかかります。
カモワン流に限らずとも、タロットリーディングにおいては、特に最初の頃は誰もが「答え」や「解答」、「指針」「方向性」「結論」白黒」を出さねばならないと思いがちです。
それは何とかしてカードからのメッセージをくみ取ろうと、カードの意味や言葉を思い出したり、クライアントとの問題を結びつかそうとしたりして、不自然に力が入ることにもなってしまいます。
それでも答えが出ればよいのですが、たいていはかえって思考や直観力も硬直し、通り一遍のものかひどい時には何も出てこない場合もあります。
ところが、意外にも人は解決策を本当の意味で欲していないことも相談にはあるのです。
ただ話をしたい、気持ちをわかってほしい、私の存在価値を知りたい、私が間違っていないことを確認したい・・・これが相談者の本当の気持ちということがあります。
そのような場合に、無理矢理「こうすればいい」ということを導き出しても、さしたる意味を持たないのです。
それよりも大切なのは、相手・クライアントのこと(人生・人間)を認め、話を聴き、受け入れることにあります。
解決策を言うのはそれから後のことです。先述したように、場合によっては解決は言わなくていいこともあり得ます。
ということは、原点に戻れば、タロットリーディングは素直に出たカードを読んで伝えればよいことになります。
具体性をともなわずとも、象徴的にカードからのことをそのまま伝えれば、本人(クライアント)が今度は自分のことと結びつかせ、具体性を自分からもたせることができます。
たとえばカードから「融合」や「統合」ということが象徴的に読めたのなら、クライアントが「結婚すること」「友人とショップを経営すること」など、自分に即した具体的な事に落とし込んでくれるのです。
ただし、いくら解決策や答えを言わなくていいと言っても、それを出せる基本情報や話の流れを示さないと相手が答えを見つけることは難しいです。
いわばヒントを言ってあげるような感覚でしょう。それが導きであり、リードとなるのです。
「こうしたら」「ああしたら」・・・とをあせってどんどんとクライアントに提示し続けたら、かえって混乱してわけがわからなくなります。
タロットリーダーは解決策や答えを出すことにこだわらなくてもよいですが、話の整理のつけ方、流し方、象徴の理解とシンクロニシティの発見能力は磨いていかないといけません。
「相手に答えがある」というのは相談の本質かもしれませんが、それを引き出すこと、発見してもらう導きは技術的にも精神的にも研磨していくことが求められ、カードを引けば勝手に相手が答えを見つけてくれるわけではないということはきちんとふまえておくことです。
私が、占ってほしくなる時って
ただ話をしたい、気持ちをわかってほしい、私の存在価値を知りたい、私が間違っていないことを確認したい・・・これが相談者の本当の気持ちということがあります。
こういう気持ちだったと思います。
というか、今でも、常に知りたいと思うのは、こういう気持ちからだと思います。
普段、ただ聞いてくれる存在に巡り会っていないということなんでしょうね~。
始めて、タロットしてもらった時は
泣けて泣けて仕方なかったです。
泣いた後は、スッキリして、そのこと(占ってもらったこと)で泣くことは以後無くなりました。
聞いてもらって、泣けたことで
自分の中で解決してしまった…ということなんでしょうか?
兎に角、それから
タロットが大好きになりました。
>ぐーちゃんさん
聴いてもらったことで、心のしこりが取れたり、重荷が下りたのでしょうね。
まさしく占いそのものよりも、話を聴いてもらうことに意味と意義があったというケースだと思います。なにはともあれ、そこからタロットが好きになられたというのも不思議な縁ですね。