あなたの気持ちが町でシンクロする時
たとえばつらい恋をしている時、偶然店で流れてきた曲が今の自分の気持ちを表していたりとか、大変な仕事の状況にいる時、街角の広告がまるで自分を励ますかのようなメッセージで目に飛び込んできたりというような経験は皆さんにもあると思います。
それは心理的・論理的に解釈すれば、自分の関心・注目がそのことに集中しているために、偶然の出来事でも必然のように意味づけてしまう、あるいは注目してしまうからだと考えられます。
人間の情報の入れ方は、結局のところ自分の関心による取捨選択であり、すべてのことを同時に等しい価値で入れるわけではないのです。
ということは自分にとって今関心が高いものに注目する、その関連する情報や事柄に目がいくということも当たり前であり、さらには意味づけさえも自分にとってその事柄が関係する(ように見える)からだという理由が考えられます。
これが実はシンクロ(シンクロニシティ)と呼ばれる現象のかなりの部分を占めているのではないかと思えますが、それだけでは片付けられない時間の偶然性・同時性(一緒に起こる、連続して起こること)があるため、やはりシンクロには神秘的なところは残されていると感じます。
ともあれ、シンクロについて、今回は上記の観点とは別のものを提供したいと思います。
それは「感情を味わう・深めるために起こっているシンクロがある」ということです。
私たちは社会で人と関わっている限り、様々な感情を生じさせられます。また一般的にはそれに支配されないことが推奨されます。
ただ私たちは感情が出てくるような世界にいるわけであり、それを無理に抑えたりコントロールしようとしたりするよりも逆に考えて、感情を覚えることに意味があると発想を切り替えるてみると面白いです。
私がタロットを通して(特に「月」のカードが象徴)思ったのは、感情そのものがある種のエネルギーであり、それがまた人間向上の糧として重要な要素を担っているのではないかということです。
そのためには様々な感情を味わう・体験することが必要なのです。
その意味では社会での経験がもっとも適切なのです。なぜならば一人引きこもっていても、なかなか感情の起伏は起きないからです。
特に仕事や恋愛は、いろいろな感情を経験するには非常によい場面であると言えましょう。
そしてある感情を味わっている最中に、最初に述べたような、「偶然自分の気持ちに合致している」あるいは「それを強調させるような」シンクロ的な出来事に、これもまた実際の社会の中で私たちは遭遇するのです。
このシンクロの場合は、感情の強化・固定・増幅・深化に寄与していると考えられます。
簡単にいえば感情を味わい尽くすためのさらなる舞台演出です。ドラマや映画における効果(BGMや視覚エフェクトなど)と同じです。
これによって今の自分の気持ちや体験がまさにドラマチックになるのです。
そうして感情を深く体験し、それをエネルギーにして私たちはさらに高次なる世界へ飛翔していくことができます。
問題はこれ(感情)をエネルギーとせず、ただ振り回されて毒や麻薬のようにしてしまうことです。その意味では感情のことをよく知り、コントロールする術を知らねばなりません。
その第一歩がやはり自分を見つめるということになるでしょう。
ここで述べてきたことはタロットから伝えられるメッセージであり、中でも「月」のカードが語りかけてくれたものと言ってもいいでしょう。
ですから皆さん、感情が起こることを恐れず、喜怒哀楽の波をサーフィンのように味わっていけばよいのです。
また「運命の輪」のカードを理解することも、「感情サーフィン」を楽しむことに貢献してくれるでしょう。
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