何もしなくてもバランスは取られていますが・・・
バランスといいうことをテーマにした場合、タロットカード(マルセイユ版)で真っ先に思い浮かぶのはやはり「正義」でしょう。バランスと「正義」については何回か記事で書いてきたところでもあります。
最近はディマティーニ氏のメソッドなども紹介されるようになって、ますますバランスということが重視さてきたように思います。
私はディマティーニ氏の語られるバランスのことを真に理解しているわけではありませんが、氏のバランス論で画期的なところは、バランスを取ろうと考えるのではなく、「いついかなる状態でも、あらゆるすべてのものはバランスが整った状態にある」と考え、そのことに気付くことが重要だとされたところでしょう。
つまり自分が不幸だと思っていても、それは宇宙のバランスからすれば完璧に調和し、バランスがとれていることであり、そう感じられないのは自分の見方こそがバランスを失っているからだと主張されているわけです。それを実感(体感)するのが氏のメソッドのひとつでもあるようです。
私はタロット的にみればこれは本当に正義のことを語っていると感じます。(それ以外のカードのこともあります) そして氏の主張をタロットによって解釈するならば、次のようなことが導かれます。
まず疑問に思うのは、あらゆるものがすでにバランスが取れているのならば、何もしなくていいのではないかと思ってしまうことです。
究極的にはその通りだと思います。何もしなくても宇宙は両極のバランスでできているので、人がどう行動しようと自動修正されるということになります。
これを一人の個人としての局面で見た場合、次元の違いという観点を取り入れるとわかりやすくなります。
どんな状況でもバランスが取れていると仮定すれば、低次であっても高次でもあっても、どの世界においてもバランスは保たれていることになります。
表現を変えれば地獄でも天国でも同じ法則が適用されているということです。
錬金術や宇宙の真理・奥義を記載したと言われているエメラルド・タブレットでは、「下にあるものは上にあるもののごとく、上にあるものは下にあるもののごとし」という鍵となる文言があります。
これは「次元が違っても同じ法則によって貫かれている」ということを表現したものと考えられます。
ですから両極のバランス・均衡(実はこれはヘルメスの7つの法則のひとつですが)はどのフィールド・次元にも働いており、あなたがどうあろうとバランスは取れている(取られるようになるという)ことになります。
貧乏だろうと裕福だろうと、健康だろうと不健康だろうと、両思いの恋人がいようと片想いだろうと、あなたのいついかなる局面でもバランスは取れているのですが、ただバランスの取られている次元が異なっているので違うように見えるのです。
従って、あなたがいわゆる幸せになりたいのならば、あなたの次元を上昇させていくことが非常に重要なことになってきます。
言い換えればバランスが取られる幅を広げていくということです。つまらないことでバランスが取られる世界で生きるのではなく、価値あるものでバランスが計られる世界に行くことです。
わかりやすくいえば殺し殺されることでバランスが計られる世界にいるのではなく、与えあい・喜びあえることでバランスが計られる次元にあなたを持って行きましょうという発想です。
ですから何もしなければその今の次元で留まり続けることになりますので、その世界次元でのバランスであなたは生きることになります。
俗に「住む世界が違う」とたとえられるのは、心の奥では次元の違いを感じているのでそういう表現となっているのです。やはり何もしないよりは次元を上げていく努力は必要でしょう。
そのためには「高次のバランスとは何なのか」というモデル・イデア(理想)が必要なのですが、西洋密儀的にはタロット・カバラー・アストロロジーはそのよい象徴モデルとして機能します。
従って学ぶ価値があるのです。逆にいえばそういう使い方・観点で学習しないと、たとえそれらを学んでも、非常にもったいないことになってしまうことでしょう。
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