講座やセミナーを続けて学ぶ時に。
情報社会になってきますと、知識や体験を提供するたくさんの講座やセミナーが存在してきます。
そうした中で、縁か紹介か、噂を聞きつけてか、皆さんも何かのセミナーに出られた経験はおありでしょう。
それで特に学習系のセミナーや講座では、たいていステップアップ式の段階制講座となっています。
初級→中級→上級みたいな形ですね。(かくいう私のタロット講座もそうですが・・(^_^;) ちなみに私の場合、上級はありません)
それはいいのですが、受講する側として、とにかく上を目指すというのではなく、一度それぞれの過程・ステップが修了した時点で、冷静に自分を振り返る時間も時には必要かと思います。
いわば自分の生活と学習のバランスを取るということをもう一度考えるわけです。
中にはどうしても資格取得のためということや、学びを続けたいからと言って、借金したり、相当無理をしてまで次の段階の受講を希望してしまう人もいます。
ほかにも体の調子が悪いのに精神的にも肉体的にも相当ハードな学習講座を受けていこうとしたり、仕事があまりにも多忙なのに休息時間も講座に当てたり、家族やパートナーの無理解、反対を押し切って受けようとされたりする方もいらっしゃいます。
(ただし、その学習がやがて相手の無理解を融和する可能性があったり、相手との関係を見直す場合には、時には家族・パートナーの無理解のまま受講することもありだと思っています)
また一種の洗脳状態や変性意識状態となって、講師や一緒に受講している方の雰囲気に煽られて次を目指してしまう場合もあります。
この場合は上のステップアップ制(段階・ピラミッド制)以外でも、横のスライド制として、別講座や別セミナーを受講させられる有頂天気分になっていることもあります。
ただこれらを完全に否定しているわけではありません。
中には講座の内容よりも友人との学びの時間そのもの、非日常時空間そのものをある種の趣味的時間として楽しむために講座を受けられる方もいらっしゃるでしょう。
また実際に段階制だろうがスライド制だろうが、その先生や機関の行う講座がやはり興味深く、自分にとって相応の価値あるものだと判断するのならば、それも自由です。
要は自分の中でその講座を受けることが、大きな意味でバランスが図られているかどうかという視点が大切なのです。
経済的に少し負担になっても、その講座での資格を得ることで将来はそれで仕事にすると決めており、「投資した分は回収する」というビジョンがあれば、今は経済的なバランスが崩れていたとしても、未来というタイムラインを入れればバランスは図られていることになります。
あるいはその投資した分をお金自体として回収できないにしても、自分の人生における価値としては十分回収できることであるならば、それはバランスが取れているということになるでしょう。(時々逆にお釣りが来るくらいになることもあるので、その場合は自分からその学んだことを通じて、何らかの形で提供していくことになるでしょう)
また特にステップアップ制の場合は、続けて学ぶ情熱やモチベーションのタイミングもありますから、無闇に水を浴びせて冷静になりすぎるのも問題となる場合があります。
しかしこれとて、やはり長期的・大局的視点からのバランスで見れば、今の情熱をもって学んだほうがよいのか、少し冷却期間をおいたほうがよいのかは判断できることだと考えられます。
そして何より大切なのは、その学びが必要かどうかというよりも好きかどうかだと思います。
これは単なる快楽での好きではありません。そのことを学ぶことにより、自分の心や魂が喜んでいるかということです。
人に言われたからとか、周囲の評価が高いからとか、学ばなければ理想の自分になれないとか(義務感など)で続けてしまうと、結局は学習が無駄になってしまったり(深い意味では何を学んでも決して無駄にはなりませんが)、その学びを活かすことが難しくなったりするものです。
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