過去・現在・未来で受け継がれる意外なもの。

精神世界、スピリチュアルに関心がある方の中には、よく前世について話題になることがあります。


前世というものがあるのかどうか、そしてそれがどんな形で記憶や体験が受け継がれていくのか、諸説様々であり、通常、今、生きている人間では真実はわからないと思います。


とはいえ、前世療法のワイス博士の事例などを見ましても、過去生を記憶していると思える人がいらっしゃるのではないか、そういうものがあるのではないかと私たちに思わせます。


と、ここまで書いてくれば、前世の話をするのですか? と思われるでしょうが、実は違います。(^^;)


逆に現世での記憶についてのことです。ただこれが過去世や未来世につながるかもしれないと想像できるので、前世の話をいきなり持ち出したのです。


ところで私たちは普通は社会て生活している限り、いつも誰かと会っています。それも知っている人だけではなく、すれ違う人も入れれば、かなりの数の見知らぬ人とも刹那ですが出会っているわけです。


もちろん一瞬の人はほとんど記憶に残らず過ぎていきます。


しかし仕事やプライベートでも時間と空間の共有を長くしている人は、その分だけ一緒にいる人の印象も強く深くなってきます。


ということはあなたも過ごした分、印象を相手に残していることになります。


またあまり長くなくとも、ほんのとひとときでさえも、たとえば電車のホームで誰かと口論しているところを周囲の人に見られた場合、かなりの人に大きなインパクトを残すことでしょう。


こうして人は人に対して様々なシーンから、見た人の印象・イメージ・心象風景を記憶として蓄積していくわけです。


これはほとんど毎日のことなので、おそらくは潜在意識にしまい込まれ、思い出すことも少ないかもしれません。


しかしながらやはり記憶はされている、データとしは残されているものと考えられます。


こうしたもの(記憶)も、もしも輪廻で何らかの形で受け継がれていくとすれば、あなたの今生でのすべてのふるまいが、見ているあらゆる人に記憶として残され、大げさにいえばそれがずっと人類のデータとして残り、誰か、あるいは複数の次なる生を受ける人に引き継がれるかもしれないのです。


このことを考えると、単に「私だけ、自分だけ」と思ってた今の生活・行動が、実は人類全体に影響を与えるものでもあるという、大変壮大なことになってくるのです。


また大きく考えなくても、一瞬の印象・インパクトが相手に残り、それが非常にネガティブなものであったとしたら、それだけで恨みの感情として記憶され、恨みをもった人の子々孫々に恨みを与えた人の記憶が伝承されていくおそれもあるかもしれないのです。


そんなアホな、と思うかもしれませんが、人間の記憶装置は脳だけではなく、見えないものや雰囲気さえも記憶する何か別の装置があると想像できるので、あながち誇大妄想とは片付けられないものがあると思っています。


何が言いたいのかといえばこういうことです。


今の人生、一瞬一瞬誰に見られているかわからず、またそれが次の世代以上に引き継がれていく可能性もあるかもしれないので、いつも天の目を意識して恥ずかしくない生き方ができれば望ましいのではないかと。


まあでも、失敗やかっこ悪さがあってもいいのです。


それが笑い話や成長のための物語・エピソードとして、語り継がれても皆がほほえましく応援してくれるような類のものならばです。

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