タロットと自由

タロットには色々なスタイルがあります。


タロットの種類から始まって、その使い方、スプレッド(展開法)、活用法に至るまで、実に様々です。


これにこだわりを持たず、ありとあらゆるスタイルを楽しむ自由さを満喫する方法もありますし、あるタロット・メソッドを追求し、極めていくやり方もあります。


タロットは元来、自分の枠組をはずしていく作用があると想定されますので、「自由(になる)」ということがテーマともなり、その観点ではいろいろなものを自由に使い、思いの通りに解釈していくのもありだと思います。


しかしながら、人間、いきなり自由になれと言われても難しいものです。


自由を実感し、これを得ていくのには実は制限や縛りが最初には必要です。


ヨーロッパの市民が自由や権利を獲得することができたのも、強大な支配からの独立、市民革命というものを経てきたということがあったためです。


また無法地帯では、身の安全すら保障されず、無秩序ではありますが自由とは言えません。


よってルールや規則は自由を味わうためにも最初の段階では大切なことになります。


要は「自由」とは、何もない状態のことを言うのではなく、何らかの秩序があるものと定義できるものです。


自分における秩序の進展が、今までの狭い枠からの脱却につながるのと同様の意味だと考えられます。


ということで、元に戻りますが、このように考えてきますと「タロットは何でもあり」ではありますが、そこにはある種の秩序やルールが伴ってくることが前提となります。


大切なのはそのルールにずっと自分とタロットの解釈・活用法を閉じこめておくのではく、そのルールを今度は破壊し、新しいルールを採用することができないかを考えていく(創造していく)ことにあります。


一方では、自分が思っていたルールが絶対ではないということに気付くことでもあります。


結局のところ、そのためにはひとつの「型・形」の習得が求められるのです。自由のために不自由を経験するのです。


それができて、今度は次の型に移行していくわけです。


いわばこの過程は、テーブルの上に一見無秩序に散らばったモノを、特徴によってグループ化し、それぞれに型を見い出し、さらに大きなグループへと統合化していく作業に等しいものです。


表現を変えれば、無秩序に見えるものから秩序を発見するということです。


これが実は世の中と自己の把握につながるのです。


でたらめに見えるこの世界が、実は真理によって極めて秩序立った世界・宇宙であることを感じ、それに自分を再び当てはめ直して自らを調和に導くということです。


それは世間の常識や現代の科学的なもの、目に見えるものだけではわからないことでもあります。


そして、この理由のためにタロットは勝手に使っていくことよりも、やはり学習して検証し、実践していくことが必要だと考えられるのです。

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