タロットで相手の気持ちがわかる?
人の心がわかれば・・・と思った時は誰でも一度くらいはあるでしょう。
たいてい、それは人間関係の問題やテーマがある場合が多いはずです。
そして人間関係でもっとも濃密になるのは、家族や血縁的な関係は別として、やはり恋愛でのものが最たるものとなってくると思います。
だからこそ、占いでは「相手の気持ちがどうなのか見てほしい」と相談者がたくさんやって来られるわけです。
そしてタロットでも「相手の気持ちや心がわかりますか?」という質問が出てきます。
これはあくまで私の考えですが、人の気持ちは確実にはわからないと思います。ですからたとえタロットを使ったとしても、人の気持ちがわかるという保証はありません。
極端な言い方をすれば、「タロットで人の気持ちはわからない」と言ってもいいです。
ところが、実際に私はタロット講座でも、技法として人の思いがどうなっているのかをリーディングすることを教えます。
それでは矛盾しているのではないかと思われるでしょう。
私が教えているのは、タロットによって相手の気持ちを読むことが目的ではありません。
タロットカードを人や自分にに見立て、偶然に任せてシャッフルし関係を見ることは、結局のところ、いろいろな観点や見方を自分にその時与えるためのものなのです。
「偶然に任せる」ということが、通常を超えるもの意志や働きかけということを認識させ、出たカード展開に特別な情報があるとも考えます。
とはいえ、たとえ相手がその場に実際にいる場合であっても、直接相手に気持ちを聞かないと本当のところはわかりませんし、もしかすると聞かれても、状況によっては本心を明かさないこともあるでしょう。
ましてや相手のいない状態で、相手をイメージしてタロットを展開したところで、相手の気持ちというものはタロットを読む人の想像(創造)でしかないことになります。
ということは、純粋な客観のデータや情報ではなく、主観や思いこみの範囲であるということです。ですから主観が重要な鍵となります。
相手の気持ちを確認したい場合、主観、つまりタロットを引く人の思いというのは、「相手が自分のことを好く思っていてほしい」という期待か、逆にその裏腹として「嫌われているのではないかと」という恐れ、そしてもうひとつは「相手は誰に(何に)関心を寄せていのるか知りたい」ということになるでしょう。これとて、自分ありき(自分を中心とした関係)のことです。
これらの思いが反映されて、タロットを読んでいくことになります。ですから強い主観があればあるほど、その思いが投影されて、極端に期待か悲観かの様相を呈することになります。
そのため、当事者でない人がタロットリーダーとなって、別の主観(リーダーの主観)で読むことにより、こちらのほうはその意味では客観的となります。しかしこれも、本当に相手の気持ちを言い当てているかどうかは別です。あくまでリーダーの主観と解釈になります。
いったい何が言いたいのかと思われるでしょう。
実はこれらのタロットによる相手の気持ちを見る作業によって、ある種の自分のストーリーを確認することをしているということが述べたいのです。
自分の中のストーリーですから、それが映像そのままで記録されたドキュメンタリーでもありませんし、正しいとか正しくないとか判断できるものでもありません。
たとえば、「今私はこの人のことをすごく気にしている、だからあの人は私のことを少しでも思っていてほしい」という期待をもってタロットを引いた時、出たカードから「恋をしている自分の自覚と、相手と両思いになりたい願望」を改めて確認しているのです。
両思いや恋の発展の可能性を示唆する展開やカードで喜ぶ気持ち、あまり発展が期待できず、「相手は別の人を思っていそうだ」ということに対する嫉妬や落胆の気持ち、そうした感情の確認によって自分の恋の熱中度に改めて気付くことになります。
「相手は浮気しているのではないか」というストーリーがあれば、それをタロットで展開して、それらしいカードが出たら「やっぱり」と疑いを強めることになりますし、全くその気配がない展開でしたら、安心を抱くというものです。
この作業が実際に相手の気持ちや行動を透視術のように見透かすことをしているのでもありませんし、またそれが目的でもありません。またその時点で確かめようもないのです。
よって相手の気持ちを知るということ自体は実は無意味です。単に自分の主観によるストーリーをタロットに当てはめ確認しているに過ぎません。
ところがこの確認作業が大きな意味をもってくるのです。
言葉で言えば「やっぱり・・・」「えっ?」「意外。。。」「おかしないなぁ・・・」「その通り」「笑える」・・・
こういう言葉が、展開作業直後に一言出てきます。これが自分の思っていたストーリーと合致していたり、違っていたりする驚きやうれしさ、悲しさ等の感情です。
「自分の思っていることはこうだった」「気持ちや感情としてこのようなものだった」・・・こうしたことをタロットを展開することで知ること自体に意味があるのです。
自分を知って確認すれば、少しは落ち着きが出たり、混沌から抜け出たりすることができます。少なくとも、「間」ができます。「間」によって、人はインスピレーションや神性の火花を受け取ることがあるからです。(「運命の輪」と関係します)
さらにはタロットから呈示される別の見方を得ることによって、新たな人間関係の(その相手との別展開やまったく違う人との関係など)可能性を開くことにもなります。
これが「相手の気持ちがわかるもの」だと思ってタロットを占い的に使うと、信じていたストーリーや期待していたストーリーとは違うものが出て、ひどく落ち込んだり、余計混乱の渦の中に自分を投げ込んだりすることになります。
恋愛問題ならば「相手が私のことをちょっとでも好きだと思っている証拠を見せて!」と半狂乱気味に何度もカードを引くことになります。自分で引いたり解釈できたりすることが無理な時は、何人もの占い師や占いサイトで、少しでも自分の期待に添う結果の出るものを求め続けます。
人の気持ちはひとつではありません。何重もの感情の構造が重なっています。(タロットカード「月」と関連)
そのひとつの階層だけを見て一喜一憂しても始まらないですし、また人の気持ち自体も刻々と変わっていくことは自分自身の例を見てもわかるはずです。
そのため、タロットが象徴する「相手の気持ち」というのは、ただひとつの気持ちを表しているのではないという考えを持つことも重要なことになります。
「人の気持ちを自分が変えることはできない」と思ったほうがよいです。その見地に立てば、人の気持ちをたとえタロットで知ることが確実にできたとしても、「それが何になるの?」「それからどうするの?」ということになります。
相手に気がないからあきらめるのか、相手が自分を好きだと知ってから積極的に行動するのか、相手が自分を嫌っているから嫌われないようにするのか、それは相手の心が読めれば便利かもしれませんが、人の心がわからないからこそ、相手に配慮する気持ちも出るというものです。
そういう風に「人間とその社会の仕組みはできている」と思えば気持ちも楽になるでしょう。
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