偶然や無意味に思えるものを象徴的に見るという行為。

通常、一般的に意味がないように思うものに対して、意味があるように考えることができた場合、何の得があると思いますか?


この質問自体、何を言っているのかわからないかもしれません。(笑)


実はタロットにおける象徴やその他、タロット以外のものでもシンボル的に扱うことによって意味を見いだすことの利点を説明しようとしているのです。


たとえば恋愛をしていて、空を見上げたら雲の形がハートに見えたとか、今年だったらお正月に龍の姿を雲の形に見たとか、ある事業の契約日を3日にしようと考えていたら、看板にある3という数字が目に飛び込んできたとか・・・また、壁や天井の模様を見ていたら人の顔に見えてきた、偶然見たテレビ番組の特集が自分の心配事と同じだった・・・などなど。


上記のことは、ケースによっては、(スピリチュアル的に)事象をシンボル(象徴)として扱って解釈できるシンクロニシティ的な事柄になりますが、世間一般の常識的な考えでは単なる偶然、思いこみということになってしまうでしょう。


ここでどちらが正しいのかと議論しても始まりません。というか終わりません。(苦笑) そもそも、もとともの前提や出発点、世界観自体が異なるからです。


そこで発想を変えて、偶然や一見無意味に思えるものに対して意味を見い出そうとすることに、何かいいことや効果があるのか?という観点で述べてみます。


結論からいえば、人生を積極的にとらえられるようになると言えるでしょう。言い方を換えれば自分が人生の主人公として意識できるということです。


なぜかと言いますと、世に現れることをシンボルとして意識することができれば、たとえそれが思いこみであっても、自分の中では世界が統合性・整合性のとれたものになってくるからです。


つまり理不尽で無茶苦茶な世界ではないと知る(思う)ことで、この世界に生きる自分を肯定的にとらえることができるためです。


わけのわからない世界に生きて翻弄されるより、きちんと意味のある世界だと思うほうが前向きになれます。


人は理由のわからないことには、とても不安になるものです。思いこみであったとしても、自分の中で整合性が取れたり、理屈を立てることができたりすれば、納得してすっきりとするものです。


また「何か意味があるのでは?」と考えることで、好奇心と探求心も刺激され、精神的に活発になり、若さを保つこともできます。それはまるでパズルを解くかのような知的興奮さえ想像させます。


さらに象徴やシンボルを見ていくようになると、それらによってあらゆるものがつながっていることが次第にわかってきます。


それは理屈のこともあるのですが、直観的なものが主なので、理解の早さや感動の度合いも普通の認識とは異なってくるものなのです。


すると最終的には自分は一人ではなく、大いなるものに生かされているという感謝の念にたどり着くようになります。その繰り返しが象徴やシンボルによって世の中を見るシステムみたいなものです。


こうしてシンボルによってすべてのものが自分とつながってくるようになれば、自分にエネルギーが流入するようになって、知らず知らず自分自身が内的な部分で強くなってくるのですが、そうしたことはわかりづらいので今回は詳しく述べません。


いずれにしても、一見無造作で意味のないと思えるものに意味を自分と関係づけて見い出すことは、自分の創造性(意味を作り出す=創造)を刺激し、この世界を秩序ある意識的(魂的)なものへと変化させ、自分の中に世界があるという感覚を認識することにつながってきます。


そして意味のないと思われていた自分の人生に、積極性や目的意識を持つこともできるようになります。


結局、「人生、思ったもの勝ち」なんですか? と聞かれればその通りだと言っておきましょう。(笑)

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