タロットセラピーはまず自分に使う。
タロットを学習することは、昔は占いの勉強や占い師になるためのものでしたが、今はセラピーやカウンセリング的な傾向が強くなっているように感じます。
そうなってきますと、タロットを学ばれる方は人を癒すセラピストになりたいと思う方も増えてきますし、実際に目指されている方もたくさんいらっしゃるでしょう。
広い意味においては、確かにタロットもセラピーとなる面がありますが、私自身は自らをセラピストとしては名乗っていません。
それはセラピストという仕事を広い意味よりも狭い意味といいますか、かなりまじめにとっているからです。人を職業的に癒すことはそう簡単なことではないと思っています。
タロットを対人相談に使うに当たっては、その人を癒さなければならない時は癒しますし、癒しよりもすぐに問題や課題の解決や取り組みを必要としている場合にはそうしたアドバイスにつなげます。
セラピストと限定してしまうと、スタイルが固定されてしまいがち(自分というより外からの印象)ですので、あえて名乗っていないということもあるのです。
ところでセラピストを目指すのであれ、占い師を目指すのであれ、そこには相手を想定したタロットの使い方を意識したものがあります。
それでも、私はまず最初は自分のためにタロットを使うことを実践してもらいたいと思っています。タロットを使って人をセラピーするのなら、まず自分を癒し、心を整理してほしいと願っています。
人が癒されるのはやはり人、つまり自分ではなく他人によってのことが大きいのですが、それはあくまで手段といいますか、最終的には人も癒しの「方法」となります。
その前に自分が癒やされるという意識、癒されてもよいという取り組み(行動)が大切なのです。
変な話ですが、癒されるのでさえ、実は自分の創造意識に火をつけねばならないのです。小アルカナでいえば、杯の前に剣や杖の段階があるようなものです。
皆さんも癒された経験を思い出してみると、つらいことがあった、苦しいことがあった、混沌とした状態にある・・・という何か自分の困った状態の時に、セラピーを受けたり、本や小説を読んだり、映画やドラマを見たり、芸術や自然にふれたりした時に心が癒されたと思います。
そして偶然よりも、自分が「癒されたい」という思いを抱いている「目的意識」があったほうが、癒され度合も大きかったのではないでしょうか。
「癒されたい」という思いは、表面的にではなく無意識のこともあります。ただそれでも癒しのための行動を取った結果、あなたは癒されたはずなのです。
ということは、自分が癒される状況にあり、癒されたいという思いの発動があってこそということになります。それが実は創造性の火花でもあるわけです。
なぜならば、癒されたいと思う心にの奥には、癒されたあと、自分の人生を気持ちよく過ごしたい、創造的に生きてみたいという欲求が働いているからです。
従って、セラピーをしたいと思う人も、他人からではなく、まず自分に対して行ってみるよう勧めているのです。自分で自分を癒すことは難しいかもしれませんが、その志や行動自体に大きな意味があるのです。
またタロットのようなすぐれた象徴ツールがあれば、何もないよりかは、格段にやりやすくなります。
ストレスで押しつぶされそうだったので、タロットカードを並べました。
タロットマンダラを見ていたら突然、涙があふれてきました。
なんともいえない不思議な感覚でした。
タロットマンダラに癒されたような気がします。
>あざみさん
タロットはある種のエネルギーがありますので、見ているだけで癒されたり、元気が出たりすることもあります。リーディングだけがタロットの使い方ではなく、いろいろな活用があります。