タロットを伝える人に。
精神世界では、自分の思いや想念と現実が密接にリンクすると信じられています。
心理的な方面でも、心の世界(信念・思いこみ)が自分の人間関係や行動パターンに影響すると言われています。
精神や心理の考えを挙げるまでもなく、最近はそういうことが常識的に語られるようになっています。
それはそのことがやはりある程度真実として実感されるからでしょう。
ということは当然のことながら、日頃の思いがとても大切であることになります。
それはタロットを学ぶ過程でも同様です。
タロット学習に限らず、何か自分(の技術など)を向上させたいと思う時、「この程度でいいや」というようなほどほどの思いでいれば、自分のだとりつくレベルはまさに「その程度」に終わります。
それどころか、だいたいにおいては、その程度以下になります。「その程度」が自分の理想の最高度になるので、実際にはいろいろな要素がからんで、それ以下になることが多いからです。
ということで、タロットを学ぶ時も、できればタロットリーディングがうまくできるようになるだけではなく、いずれは人にタロットを伝えていく、教えていくのだという思いまで抱いて学ぶとよいでしょう。その目標がなくても、です。
タロットを教えるということまでを意識していますと、「人にどう伝えらればよいのか」という視点を常に持つことになります。
これが非常に大事なのです。先生からただ受動的に学ぶのではなく、自分から能動的に伝達していくという意識があれば、学びのスタイルと意識はかなり変わります。
私自身も実はとても早い段階でタロットを学んでいる時から、将来はタロットの講師になろうと考えていました。
ですから講義では、ただタロットの理解に注意を傾けるだけではなく、「このことを教えるとすればどう語れば人にわかってもらえるだろうか?」 「ほかに伝える方法はないか?」など、講師になる仮定での視点で内容をとらえようとしていました。その時のことは、今にとても役に立っています。
もちろん最初の講義時では、そうした別視点を持つ余裕が私もありませんでした。だから複数回同じ講義を受けた経緯があります。
話は変わりますが、私もいずれ自分だけが教えるのではなく、私の講座を受けていただいた方で教えることが好きで向いている方には、いずれ講師的な目的のためのコースも作っていきたいと考えています。
ただ、今までいろいろな技術のコースを見てきましたが、たいてい画一的なものでした。それはそれで講師水準や教える内容も同等になってよいことも多いのですが、反面、講師それぞれの個性的な面が出にくいところもあります。
教える・伝えるというのは実は結構個性が出るものだと思っていますので、もっと違った形で講師育成ができないかと私は思っています。
基本や精神は同じとしても、その人なりのタロットの伝え方・教え方があっていいと考えています。むしろそのほうが自然でしょう。
私のタロット講座、発展コースを受講されたあと、それなりの実践経験を経た方や、タロットを伝えることに特に希望と興味のある方、講師に向いている方には、マンツーマン的にその人の個性と向き合って、その人に合ったタロットの伝達方法を一緒に考え、作っていきたいと構想しています。
こういったものも本人の意志といろいろな縁が合わさって実現できることかもしれません。まさにマルセイユタロットでいえば、「法皇」と「恋人」です。
そして伝えるための「法皇」になるためには、それまでの「手品師」から「皇帝」の過程がやはり必要とされるでしょう。
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