中途半端のよさ。
中途半端と聞くと、一般的にはあまりよくないことだと思われています。
やり切ること、終わらすことには達成感にもつながり、得るものも多いからでしょうね。
また、中途半端のままになっていると、心理的にもそこに関心のエネルギーが向けられ、今現在や未来、ほかのことに向かって全力で進むこともできにくくなります。恋愛などには多いパターンですね。
とはいえ、何事も一面だけではありません。中途半端にもよいことがあります。
まず中途半端とはいえ、その事柄に関わったということは、多少なりともそれに対しての知識と経験がつくわけです。
そのため、話のネタや相手との共感を高めるものとしては、全く知らない状態よりも大いに活用できるのです。
「それ、私も昔やったことあります」とか「ちょっとだけ経験したのですが、もっと教えてください」などと人との円滑なコミュニケーションにつなげることができます。
さらに読書などではよくあることですが、途中で読みかけのままにしていると、どこかで気になっていて、改めて日にちを変えて読むと、最初の時より新鮮な気持ちで読めたり、新たな発見があったりすることもあります。
途中の場合は止めていた部分の少し前から二度読みするようなことが多いので、そういうことも起こるのだと推測されます。実は本というものは二回は最低でも読んだほうがよいのです。
中途半端だからこそ、自分に気付きを与えてくれる本との出会いが逆に濃厚になることもあるのですね。
そして、これが一番よいことだと思えるのが、中途半端はまさに途中のままで終了することがありませんので、時間やエネルギーを取られることが少なくなるという点です。
人の一生は案外と短いものです。本当にエネルギーや時間を注がなくてはならないもののためには、あれこれすべてやり切ろう、極めようとすることはかなり大変なことになります。
いわゆる完璧主義に陥ってしまって、何でも完全でないと気が済まない、落ち着かないという感覚も助長しかねません。
「中途半端でいいんだ」「ほどほどのままのものがあってもいい」と思うことで、肩の力が抜け、人生を楽しむことができるようになります。もちろんくきちんとやるべきものは限定して集中的に取り組めばよいのです。
これはマルセイユタロットでいえば、「世界」よりも「悪魔」の感覚を養うというものに近くなります。(この二枚は「完全」と「中途」ということを象徴でよく表現しています)
中途半端のままでいけないのは、あなたの深奥なる魂の部分の成長についてです。
その観点から見れば、ベルソナ(仮面)やエゴを満足させるための完璧さを追い求めるのと、本当の意味での完全さ目的とするのとでは意味や行動も違い、中途半端も時にはOKであることがわかってきます。
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