タロットの展開法(スプレッド)を選ぶ重要性
私の教えているマルセイユタロットとその展開法には、そもそも「どうなりますか?」という状況判断や、「いい悪い」の吉凶的な診断を求めることにはなじまないものです。
詳しくは書きませんが、展開の構造やルール自体がそうなっているのです。
ということは、もし逆に「この仕事をすればどうなるの?」「この人とつきあうとどうなる?」「これを選ぶといいの?悪いの?」というような質問をする場合は、展開方法を変えたほうがいいということになります。
また、質問が上記のような状況判断を求めるものになっていて、スプレッドがそれになじまないものならば、今度は質問のほう(質問の形)を変えたほうがいいことになるわけです。
タロットをする人でも実はあまり気がついてない人もいるのですが、選択する展開法(スプレッド)によって質問が変わることがあるのです。
質問が変わるということは、通常思われているよりも重大なことなのです。
「質問」それ自体のセミナーや学習・書籍があるように、問いは自分の人生をどう生きるのかに深く関わってきます。
普段発する質問・問いによって、自分の生き方さえ変わってくるのだと言っても過言ではないかもしれません。
たとえば何か問題や困ったことが起きたとき、自分はどのような質問や言葉(心の中でも)を発しているかを注意深く観察してみるとよいでしょう。
「困った、どうしよう?」「どうなるんだろう、これ」「大変だわ」「どうしようもない」「神様お願い、何とかして!」・・・
こういう言葉や問いの類が頻繁に出るようでは、まさに自分の人生の舵取りを、他人や環境・運に任せているようなものです。
「どうすればよいか」「何か方法があるはず」「このことは、善き人生にするためにはどう解釈したらよいか?」などの問いと比べてみるとよいでしょう。
注意しなくてはならないのは、人生には確かに選択の連続ではあるのですが、いつもいつも「いいか悪いか」の二者択一的にタロットを展開し、解釈していくと、自分はその二者択一・白黒・正義不正義の二元的な世界に縛られていくようになります。
二元的な世界というのは分離や独立的傾向を持ちます。周囲や他人と常に比べ評価しないといけなくなります。「比べて評価する(判じる)」ということは、そのまま文字通り「批判」気味にもなります。
そもそも、いい悪いという自分の基準も変化していくものです。変化しない基準となれば、それはより高次の宇宙的なものとなります。ここに高みを求める霊的な意味が生じます。
選択するべき現実的必然も人生の場面において当然ありますが、「よい選択をした」「失敗のほうを選んだ」という結果ばかりを見るのではなく、迷いや選択の機会を与えられていること、選択の材料の特質などに思いを馳せることも大変重要なことでもあります。
こうしたことにタロットで気がつくためには、タロットそのものの理解も必要ですが、自分が普段使うスプレッド(展開法)にも気を遣う必要があるのです。
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