あなたはいつも「すばらしき世界」にいる。

この現実の世界は低次と高次(中次もあり)が一緒くたになっている世界だと言えます。


そして意外なことに、自分がくだらない、つまらない、価値がない、低俗だと思っているものの中にキラリと光る貴いものがあったり、高次の啓示を見ることがあります。

またその逆に、自分が高い価値があると思っているものの中に、急に低俗に感じてしまう瞬間がやって来ることもあります。


たとえば、あなたがあまり足を運ばない、どちらかといえば自分では低級だと思っている居酒屋や食堂などに、自分の意志とは関係なく(誰かの誘いや仕事関係等、やむを得ない事情で)訪れることがあったとしましょう。


行ってみると案の定、オヤジさんたちがギャンブルや人の悪口、お下劣な話などをしています。


あなたはうんざりして、「なんて話で盛り上がってるんだろう、この人たちは・・・」と思います。


ですが、無視しようとしても声が大きいので会話が自然と耳に入ってきます。


するとひとしきり話に興じていたオヤジさんたちが、酔ったのか、急にしんみりしてきました。


どうやらエッチ話から女性の話に移り、女性をくどくことから、やがて「女と男は何ぞや」というテーマになってきているようです。


そして、オヤジさんたちのうち、一人がポツリと言います。


「そりゃ、おめぇ、ホントに好きだったら何もできないだろ、大事なモンは大切に扱うもんさ・・・」


オヤジさんたち一堂、なぜかこの瞬間、シーンとして無口になっています。


あなたもこの時、今までとは違う何かを感じるはずです。


この沈黙は、天使が通った時間・瞬間と表現することができます。


低俗な会話が続いたとしても、ふとした時に、「愛」という高次なものに刹那にふれているのです。まさに一瞬の天からの火花が散ったような感覚でしょうか。


実はこれは私が本当に経験したお話です。


このケースとはまったく逆で、高級そうなレストランでの会話、スピリチュアルをテーマにしたセミナーの懇親会などで高尚な話をしていたかと思うと、急にだんなさんや奥さん、またはあるグループの悪口を聞くことがあります。


これらは「世界はいついかなる時もバランスで成り立っている」ということだとも言えますが、もうひとつ、どんなモノの中にも天使や神(神聖や神性)が存在し、反対に悪魔性やネガティブさも包含されているのだということです。


ということは、私たちはどちらの方向にも進むことができる選択の場に、常に立たされていると言えましょう。タロットカードでいえば、「恋人」です。


可能性や後退はいつでも、どこでも存在しているわけです。まさに「このすばらしき世界」(歓喜と皮肉の両方を込めて)なのです。


たとえあなたが一般的に悪い状況や堂々とできない状況にあっても、神性さを認識する道はその場にあるのであり、それに気がつくかどうかはあなたの認識力と選択次第なのです。


マルセイユタロットですでに「恋人」一枚でこのことが表現されていることはすごいことであり、また大アルカナの構成を知ることによって、さらに深くこの仕組みを実感することがてきます。


そうすれば低次の中に高次を発見することもでき、反対に落とし穴にも気がつくようになるのです。つまりは霊的な向上につながっていくわけです。

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