「吊るし」となって自分主義で行くこともあります。
以前、ある新聞記事の読者相談で、人間関係に悩む人に対して精神科医が回答をされていたものを読んだことがあります。
その相談の骨子は、「自分を変えて相手に合わせたほうがいいのか」というものでした。
どうやら相談者は、相手の人とはあまりつきあいたくはないようなのですが、それでは大人げないと言いますか、わがままを言っているような感じなので、ここは自分をもっと成長させて相手を受け入れるようにならないと・・・」というようなことを書かかれていたように思います。
まあ、もっともな主張だと思いますし、よくスピリチュアルで言われるように、「問題の原因は全部自分にある」と考えますと、正しい意見のようにも感じます。
しかし、その精神科医の先生は、「無理に合わす必要はないし、自分も変えることもない」と答えられていました。
先生いわく、「中学生くらいまでは自分を変えることが必要だが、大人になると変えようとするとむしろ大変で、そのことがストレスとなって、うつにもなりかねない」というようなことをお話されていたように記憶しています。
ここでいう「変える」とは、相手に合わせて自分を変えていくというようなニュアンスのことでしょう。成長や発展のために自分を変えていくこととは、また別の意味だと思います。
このやりとりを読んでいて、私はマルセイユタロットの「吊るし」をイメージしました。
私たちは人間関係でこの相談者のように結構悩むことがありますが、思えば必要以上に相手に気遣うことはいらないのかもしれません。
この精神科医の先生がおっしゃるように、大人になればそれまで培った「型」のようなものが誰でもあります。自分らしさと表現してもよいものです。
これがあるため、安心と安全を私たちは日常的に確保しているのです。これをいちいち相手に合わせて変えていくのは、多大なエネルギーが要りますし、浪費にもなりかねません。
「吊るし」は逆さの姿勢で自ら吊るしている状態となり、そのことを楽しんでいます。二本の木に囲まれた空間で悠々自適な態度を取っているのです。
人から見れば逆さづりなので苦しそうに感じたり、意固地のように思えたりすることもあるかもしれませんが、「吊るし」の人物は周囲とは関係なく、自分の世界で安定を図っています。
そのために「吊るし」の彼の内側(内的な方向)は、広大無辺ともいえる宇宙が広がっており、彼自身は「世界」のカードと同じくらいの自由を「イメージする」ことも可能なのです。
それはエネルギーを外に出すのではなく、内に向けているからです。
余計な気遣いで心的エネルギーを漏らすのではなく、自分に溜めて圧縮し、その凝縮さそれたパワーで自分を変容させることができるのです。
その時、人間関係で悩んでいた次元を飛び越え、新しい人間関係の獲得や苦悩していた相手の変化・よい別離、自分自身のフィールドの移行などが発生します。
自分の人生は誰のものでもなく、自分のものです。
中年以降は特に自分の完成と成長の旅を加速しなければなりません。
余計に人に気遣って、そのこと(人間関係)自体に悩んで道草を食っているより、変人に見られたり嫌われたりしても、場合によってはさっさと進むほうが自己の成長に有益なこともあるのです。
もちろん人との交流が自分の成長の糧になることもたくさんあります。ただそれも不快になったり、傷ついたりしてまで関わることはないと言えます。
自分を守り、エネルギーを無駄にせず、目的をもって進んでいきましょう。
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