タロットをよい道具とするためには。
タロットとのつきあい方にはいろいろな方法とスタンスがあります。
ここでも何度か書いているように、ヨーロッパ、特にフランスでは現代でもタロットは一般的に「ゲーム」という感覚が普通で、それは私たちが思う「トランプ」に近いものだと推測されます。
ゲームだと思えば当然ゲームの道具になりますし、日本ではタロットは「占い」と見られていて、そうとらえればまさに「占い」の道具とタロットは化します。
一方、私はタロットを「自己実現」や「霊的向上」の指針としたり、心理的な観察道具に見立てたり、あらゆるものを象徴化し、物事や真理の把握に使ったりするための活用ツールとしてタロットを伝えています。
またあまり知られていませんが、ヒーリングやエネルギー調整、心身の癒しの(象徴ではなく直接的な)道具としてもタロットは使えます。
ほかにも暗記道具、能力開発、願望実現、直感・直観力の向上としても使うこともでき、本当に様々です。
こうして見ると、タロットのツール・道具としての活用性・応用性・柔軟性は際立っている言えます。
ただそれだけに、タロット自体を神だとか、怪しく得体の知れないもの、超越的なものと思い過ぎるのも問題だといえます。タロットの言いなりになったり操られるのではなく、うまく活用することが大切です。
タロットは非常に優れたツールですが、あくまで「道具」なのです。主人公は私たち人間です。
極端なことをいえば、成長や発展が叶えば、いずれタロットから離れてもOKなのです。いや、むしろそうなるのが理想でしょう。
いわば、タロットは私たちの中に眠る崇高な精神や高い能力を目覚めさせる働き、手助けをする天からの使いなのです。言い換えれば神性の発動や回復に向かう自己作用の覚醒装置です。
しかしながら、神とは完全であるため、時として悪魔と称される次元や見方も出てくることになります。
これは私個人の考えですが、神と悪魔は二元で対立するのではなく、神の中に悪魔もいる(悪魔段階を通って神に至る)と見ています。悪魔も神の表現のひとつというわけです。
ですから神性の覚醒が始まると、自分の悪魔的部分も現れてくることもあるのです。
それを超越していくのが向上の道です。しかもそれは次元やレベルがあり、まず小さな悪魔と小さな神を実現して、大きな悪魔と大きな神、最終的には完全へと至るのです。
少し話しがそれましたが、タロットは道具ゆえに、あるレベルになりますとタロットを展開しなくても(出さなくても)タロットが象徴するエネルギーやメッセージが現れてくるようになります。
私の場合は、リーディングで実際に出たタロットとは別に、クライアントの背後や周囲にタロットカードが一枚、もしくは数枚組み合わさって見えるような感覚があります。(見えるというより感じるというほうが近いです)
それはタロットがある種のエネルギーや波動、もしくは物事を象徴しているからで、それが把握できるようになってくれば、タロットの絵柄として感じられたり、クレヤボヤンスのように見えたりするのだと想像できます。
ただ、タロットは道具とはいえ、単なるモノとして扱うことは問題であり、タロット(のチカラ)を発動させることができません。
タロットを人間のように見て、魂と心の存在として扱わないといけないのです。これはタロットの霊(精霊)という存在を知り、感じる必要があります。
ここが物理的な道具と霊的な道具との違いです。
言うまでもなく、タロットは霊的なツールなので、唯物主義の人や、モノや目に見えないものに心があるような感覚が信じられない人には、タロットはただの物理的な紙のカードに過ぎなくなります。
同じ「かみ」でも「神」への道のツールとするためには、タロットに対してそれなりの扱いが必要なのです。
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