人の言葉を素直に聞けますか?
人間とは不思議なもので、ある人の言葉は素直に聞けるのに、ある人のものはなぜか抵抗が出てしまうという場合があります。
この理由は様々ですが、そのいくつかを書いてみたいと思います。
まず、単純にその人との関係がどうかということが挙げられるでしょう。
すなわち、友人や親しい人であればあるほど、どんな内容でも比較的あなたは耳を傾けることができるはずです。
これはいわば親密性がもともとその人と自分にはついているので、最初から心がオープンになっている状態だからです。
反対に仲の悪い人、日頃から好ましく思っていない人には対しては、たとえその人が結構いいことを言っているように思えても、あなたの色メガネ(笑)がそれをねじ曲げ、「あんな人が言っているのだから、何か裏があるに違いない」とか「えらそーなこと言っても、あんたはどうなのよ」という感じで、素直に聞くことができません。
それからほとんど関係のない人、普段意識することもない人の場合は、むしろフラット・公平にその人の話を聞くことができるでしょう。あなたには何の損得・好き嫌い感情がその人に対してはないからです。
これを逆に見てみれば、あなたと何らかの関係がついた人は、なかなかフラットにその人の言うことを聞くのが難しいとなります。多かれ少なかれ、どちらかに感情が傾くからです。
またその人のことを好ましく思っていれば、素直に好意的に聞けるかといえばそうでもなく、むしろ好き・嫌いの感情がどちらにせよ多量にある場合は、あることがきっかけで、一気に天秤の傾きが逆に変化することもあります。
たとえば自分が崇拝していた人が、ある日思っていたことと違った行動や態度を示した(と感じた)時、天秤はガタンと逆方向に傾きを変え、一番の批判の対象者になるというような感じです。
結局のところ、自分が正しいと思っていること、よいと感じていることを基準にして、誰の言葉であれ、自分で判定して「素直に」なったり、「聞く耳を持たなく」なったりするのだと想像されます。
ですから自分の「正義」や「よし」としている基準は何なのかということを知ることは大事で、それによって今までよりもフラットに人の言葉を聞くことができるようになります。
それから、これもよくあるのですが、その人が愛情をもって話しているかどうかも大きなポイントです。
本当は「愛」と言ったほうがいいのですが、実際にはそこまでは難しく大げさになるので、あえて「愛情」としておきます。
たとえば師匠と弟子の関係において、師匠が弟子の成長を願い、根本的に愛情をもっての言葉であるならば、たとえ厳しい叱咤であっても、おそらくその弟子は師匠の言葉を受け入れることができるでしょう。(弟子のレベルによっては表面的な言葉しかわからず、奥の愛情に気付くことができないこともありますが)
別に何かを教え教えられる間柄でなくても、普通に人と人との間でも、愛情のない特にキツイ言葉は、受け取ったほうはかなりの確率で傷つくことになります。
もしあなたが人から受けた言葉でひどく傷ついた場合は、言い方もあるとは思いますが、その言った人があなたに対して愛情がなかった(いつもはあってもその時は薄かったということもあります)と考えてよいかもしれません。
親しい間柄であっても、怒りに身を任せたり、悲しみのあまりだったり、相手のことに愛情を向ける余裕のない時は、やはり相手を傷つける言葉になりがちです。
愛情があれば、たとえその時には気がつかなかったとしても、将来「ああ、あの人は真に私のことを思ってあの時は言ってくれていたのだ」と悟ることができます。
人は平穏無事でいつも過ごし、傷つきたくないと思って生きています。何か不快なことや問題であると感じた時は、快適な状態や元の状況に戻そうという機能も働きます。
つまりは問題状況をよしとできない生理的なものがあるのです。だからこそ傷つき、悩むとも言えます。
しかしその、何とかしようと思う気持ちと努力が、これまでの自分よりも拡大や成長することにもつながります。自然にそうなるよう仕組みまれていると言えます。
ですから人には感じる「感情」とそれを整理する「知性」とが備わっているのです。神(大いなるもの)の配置に感謝です。
本当ですね!言葉って凄い力を持ってますね!
私たち、コーチは言葉1つで選手が気づいたり変わったりします(^_^)
ここ勝負という時の言葉は、かなり悩み考えます(^_^)
言葉1つで選手のパフォーマンスが大きく変わりますので!
素直に聞く事が絶対条件と選手には伝えますが、受け取り方がそれぞれ違うので本当に難しいです(^_^)
>ヨレヨレコーチさん
コメントありがとうございます。
テニスコーチともなりますと、心身の鍛練だけではなく、実際に勝負の世界でもありますから、いろいろと言葉をかけるのも難しいことがおありなのでしょうね。
でも熱血コーチの愛はきっと伝わっていることと存じます。