自分の向いているもの、興味の探求

ひとつのことをずっとやっていますと、最初は人から教えられた知識や表面的に感じられたことが中心となりますが、やがてその行っていることそのものの持つ意味や背景の流れが見えてくることがあります。

さらにはそれを学んだり、行ってきたりした人の連綿たる思念や想い、蓄積のようなものも感じてきます。

特に伝統や歴史を持つものは、それが顕著ではないでしょうか。

ですからある人に何かを学んでいたとしても、初めはその方の教えられた言葉や知識をそのまま受け入れるのですが、時にその人を通じて、その人が学ぼうと志していたもの、さらにはその奥に流れる「何か」が伝わってくるようになります。

そうなると、その(教える)人の人格や状態などはどこかに飛んでいき、教えを受けている、または教えを受けたそのこと自体が非常な喜びであるという感覚、教えられたことを真摯に受け止める決意のような感情が生じます。

いわば学びそのものの「霊」を感じるような形です。

ここまで来ると、これは自分の中にもともと存在していたのではないかという思いに変わってきます。

誰もがあらゆる可能性や完全性を元来有していると考えると、様々な現実条件によってそれは規制されているとはいえ、何かのきっかけでその種は発芽し、萌芽として自覚できるのではないかと考えられます。

それはまたによるところが大きいのでしょうが、その縁に導かれやすい何かが自分の中にあるのも、可能性としては想像できます。

いずれにしても、「何が自分に向いているのだろう」とか、「自分の合っている道は何なのだろう」という探求心は大切ですが、それは外からの縁も多大に影響するとはいえ、実は自分の中にある種子としてすでに存在し、それを発見し、育てる内向きな探求にも糸口があるのだということです。

だいたいにおいて、その種子は具体的ではなく抽象的です。なぜならば、あなた自身の表現は宇宙という抽象的で大きなものの一部の表現であるからです。

そしてあなたが「向いているもの」「自分の道」だと思う仕事や生き方は、あなたというフィルターを通した具体的な宇宙の表現でもあります。

具体的な表現ということは現実世界、つまり私たちの住む次元での表現なので、これは時代(時間の経緯)や環境によって変化します。

しかし大きな宇宙という全体表現では抽象的であるために、時代や環境など現実的なレベルによって変わることがほとんどありません

あなたがまず求め、探すものは、いきなりの具体性ではなく、この宇宙の全体性・抽象的なところと現実世界との中間的ものなのです。

それゆえ、たとえば「セラピストが向いている」というより、「人を癒すことが向いている」というような、少し上の抽象概念をあなたの個性の種子として発見することが大切となります。

そして最初に戻りますが、どんなことを発見し、行うにしても、その奥や背後に流れている大きな宇宙の表現を感じていくように探求することです。

カウンセラーでもコーチでもコンサルタントでも、その技術や学び自体の「霊」を見ると、次元の階層を行き来するようなものとなり、単なる技術や知識、仕事を意味するものではなくなるでしょう。

結局のところ、それらはある中間概念とつながることになり、さらに上の大きな存在や表現とリンクしていくことになるのです。

私はマルセイユタロットでそれを探求している道中です。

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