マルセイユタロットの二番目のゲームとは。

マルセイユタロットはここで何度も伝えてきているように、(目的の意味で)占いをする道具ではないというのが私の見解です。


もちろん結果的にタロットで占いができるのは、タロットの種類に限らず、今もってタロットが占いの現場で活用され人気であることでわかります。


これはすなわち、占いに来られる相談者の期待に応えられていることを示すひとつの証明でもあります。


それはさておき、ではマルセイユタロットは何のために作られたのかといえば、私自身はひとつはゲームのためであろうと推測しています。


なんだ、そんなことか・・・と思われるかもしれませんが、ここで言う「ゲーム」とはふたつの意味があります


ひとつは文字通り、普通の遊技・遊びのゲーム(としての道具)。


そしてもうひとつは、この世界がゲームであることを知るゲーム(のためのツール)です。


これを一枚で象徴しているのが「手品師」です。だからこそマルセイユタロットの大アルカナ「1」を持つカードは魔術師(絵柄としても)ではなく、手品師なのです。


けれどもマジックということでは実は共通しているところがあります。(手品のマジックという意味だけではありません)


後世、マルセイユタロットをもとに様々なタロットが生み出されたと考えられますが、たとえばウェイト版を作成した、西洋魔法に精通し博学であったA.E.ウェイト氏も、当然そのようなことは知ったうえでの「ウェイト版」の制作だったと考えられます。


ということは、ウェイト版はあのような絵にする必要があったのだと想像されるのが妥当です。すべてのタロットは制作者の意図をもたされて作られているはずだからです。


翻ってマルセイユタロットの場合は、「この人がマルセイユタロットを作った」という特定の一人の制作者の名前が歴史的には見当たらず(何人かの版による違いの制作者の名前は伝わっています)、そうするとその意図はもっと複数の、あるいは大きなものが隠されていたと見ることもできるのです。


さて、そうしたマルセイユタロットのゲーム性でも二番目の意味、「この世界がゲームであることを知るための目的として使う」場合、そこには技術として占いも入ることはありますが、どちらかといえば、カードをこの宇宙・世界のシンボルとしてとらえ、私たちの通常の認識を一度壊して、再構成するために使う自他の認識のための象徴道具ということになるでしょう。


その意味では大アルカナの絵図を並べるということは非常に意味があります。当然タロットは78枚で一組なので、小アルカナを並べて観察することも意味を持ちます。


ただし、ゲームにはゲームのルールがあり、そのルールが何なのかを知らなければ、本当にタロットは遊びのゲーム道具、いわゆる日本人が思う「トランプ」となってしまいます。


先述の「手品師」のカードでいえば、これをただ絵柄の通り「手品」をしているんだと見れば普通のゲームのことになりますし、その絵柄に別の意味と象徴を見つけることができれば、手品師はまったく異なるカードになって、見る人に迫ってきます。これが二番目のゲームを知るということにつながります。


普通に見るだけでは、手品をしているとしか思えないようにしているのです。


ということは、そういうシステム(表裏の意味を知る構造・仕組み)がマルセイユタロットにはもともとあるのだと思うことができますし、誰かはわからないマルセイユタロットの制作者の意図も、それで見え隠れします。


そして私たちが普通に見ている(認識している)世界というものも、これとまったく同じ構造だと考えられます。


そう、この現実は現実であって現実ではなく、真実は別の見方にあるということが示唆されているのです。


それを知るのがタロットの二番目のゲームということになります。


ゲームですから難易度もありますし、楽しむことが大切となってきます。(笑)

コメント

  1. タロット太郎 より:

    RPGに似てるんでしょうね。新しい事態に直面した時我々は既知のものに例えて未知のものを理解しようとします。世界もまた大いなるメタファーなのか。

  2. >タロット太郎さん
    コメントありがとうございます。
    そうですね、ほんとゲームとして理解すると、結構いろいろとわかってくることがありますね。

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