マルセイユタロット発展コースにて気がつくこと

先週の日曜で、4月から始まった発展コースの日曜定期版が終わりを迎えました。


ただ正式にはまだあと一回の追加分が残っており、それが終了してからが本当の終わりとなります。


もっとも、タロットリーダーの実践としては、ここからがスタートで、いわば「∞」の象徴の通りです。(これはタロット講座を受講している人しかわからないかもですが)


発展コースはプロタロットリーダーになるための知識と技術を学ぶ講座ですが、単にタロットリーディングの能力を磨くだけではありません。


クライアントとのやり取り、コミュニケーション技術なども含めて、タロット使った総合対人援助技術を学習すると言ってよいものです。


また最後の方になりますと、やはり目標がプロタロットリーダーということになりますので、「仕事としてのタロット」という現実的なことも講座内容に入ってきます。


その中では自分をどう売り出していく(営業していく)のかということも項目にはあります。


そのためには、結局のところ、自分のことをもっとよく知らねばなりません。自分を知らずして、他人に自分を知らしめることはできないからです。


しかしながら、自分を知るというのは意外と難しいものです。そこで「客観」(他人目線、他人の思考・感情を通すこと)なのです。


自分自身の経験や生きてきた歴史は、もちろん自分が記憶しており、他人は家族・知人等が一部自分を知っているとはいえ、やはり自分より自分のデータを知り得ている者はいないでしょう。


そうして講座では自分(の人生)を改めて振り返ってもらうことをします。時にはタロットも使います。


そうして自分の記憶や印象のデータを自分なりに洗い出してみて、それを他人というフィルター装置にさらにかけてみると、自分でも気がつかなかったことがたくさん出てきます。


今回も発展コースの受講生にやってもらったのですが、他人目線になりますと、本当にお一人お一人、当人が思っているよりもはるかにドラマティックな人生だったのです。


それはもう、すばらしい映像作品を見ているかのようでした。


この時、私は他人目線ですので、いわば中立な視点に立ちます(厳密には私の価値観やモノの見方入りますが)。これは神目線とは言いませんが、天使(界)目線と言ってもいいでしょう。


ここでいう「天使」とはハイレベルな存在や本当の天使という意味ではなく、当人とは立ち位置の違ったところで見ているような者になると解釈してください。


すると、ふたつの大きなことが見えてきます。


1.当人の人生に必ず、同じパターンや傾向のものが見て取れること

2.当人には気付いていない(あとで気付いている場合あり)救済が起こっていること

1はマイナスなこともあればプラスのこともありますが、ポイントポイントで象徴的に同じ事件や人物傾向が出現し、それを結ぶと一本の糸やライン(道筋・ストーリー・意味)が見えてくるのです。

そして2は、自分ではとても苦しかったり、困難な事態だったりして、その時は誰も助けてくれなかった・・・というような思い(記憶)であったりするのですが、違う視点から見ますと、当人の気付いていない(その当時は)場所や次元で、救いの手が差し伸べられていることを発見できるのです。

これは実際には本当に当人は気がつきにくいものです。

言ってみれば、当人の映っている連続撮影情景フィルムを観客席から見ることで、「あ、こんなところに、あの人が!」「あんなところにあれが!」「このシーンはこの伏線だったのか!」と観客自体が気付くようなものです。

そして演じている本人は、全体のシナリオが知らされないまま、シーンだけその都度演技しているので、わからないのですね。

こうして1や2を総合して考察していくと、いわば自分の使命や天命のようなもの、今生で経験していることの意味がわかってくるのです。(それでも全部ではありませんが)

それらはたいてい自分があまり好ましくない記憶であったり、無理にやらされてきたことだったり、何かわからないけれどそうなってしまったというようなもので、実はそこに大きなヒントがあります

このようにして自分の経験を見ていくと、レベルの違いはあっても、マルセイユタロットでいう22枚の大アルカナの体験をこなしていることに気がつかされます。

マルセイユタロットには、「世界」のカードは全部を経験した悟りの境地だという考えがひとつにはありますが、それが程度の差こそあれ、誰もが「世界」を体験し、一度は到達しているように思えてくるのです。

その「世界」は隣の数の「審判」と非常に大きな意味では関係し、いわば「審判」のための「世界」、「世界」のための「審判」を自分は今生で経験しているのだということが言えるのです。

人には自分の個性に基づく社会への活かし方が予定されており、それがひとつの「世界」で象徴されるのですが、その「世界」を表現するために、私たちは自分の人生での個性的な経験を重ねていくと考えられます。

ある程度自分の「世界」が表現できるレベルになれば、それは天命的なもの使命的なものとして、人々や社会に役立つ(直接的に役に立つという形だけではなく、個性を活かす表現・活動として、自分も気がつかないレベルで宇宙に役立っているという意味も含む)自分として生まれ変わるのです。

この意味においては、自分の活かした方がわかってくれば、当初自分が思っていたタロットリーダー像やタロットリーディングの方法、目標とは異なってきてもOKだということです。

それ(自分のことにさらに気がつくこと)こそが、このコースの裏の目的でもあるからです。

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