時は金なり
タロットカードの図柄の中には剣や刃物的なものが描かれている場合があります。
もちろんこれはそのままの意味ではなく、象徴としてとらえるべきで、それはほかの図柄でも同様です。
象徴というものは、全体性と細分性の意味を区分して考えねばなりません。
たとえば上記の「剣」にしても、こういった「鋭い何かを切るもの」というイメージ全体からの象徴性と、刀であったり、ナイフであったり、まっすぐな剣であったり、曲がった刀であったりと、図柄の違いによって出る細かな象徴(の相違)があるのです。
しかしやはり全体としてはひとつです。ここにも宇宙や神秘の哲学的たとえとも言える「全は一、一は全」という発想が内包されているのです。
そして今日、その剣的なタロットの絵柄から浮かんできたメッセージがあります。
それは「時は金なり」でした。
それも決断のスピードという意味合いを強く感じました。
私たちの人生は、大なり小なり、毎日毎時、常に選択の連続によって成されていると言ってもよいものです。
今日着るものから食べるものに至るまで、些細なことを含めて何かを決断し、選択しています。
ところが、時折、非常に選択や決断に迷って悩んでしまうことがあります。
重要なテーマや案件ならば迷うのも仕方ありませんし、むしろ簡単に決めてしまうことのほうが問題の場合もあります。
ところが、意外に私たちは、どうでもよいこと、取るに足らないことにまで選択に時間をかけていることがあります。
その他、その時は結構自分にとっては大事だと感じているのですが、選択後であったり、モノの見方を変えたりした時には、「どうしてあれほどまで迷ってしまったのか」と思うこともあります。
人間は長生きしてもせいぜい100年足らず、その中で肉体的・精神的に自分の思った通りに活動できる時間はそんなに多くありません。
年を取れば精神的に充実していても肉体的には衰えていますし、反対に若い頃はお金や資格の制約があるなどして、自由にできないこともあるでしょう。
そう考えますと、大人になって、特に中年以降の年代になってきますと、自分が現実活動に有効に使える時間というものはかなり少ないということがわかります。
ですから、できるだけ些細なことや、自分の成長発展にとって重要ではないことは、選択と決断のスピードを速めるか、誰かにゆだねる(任せる)かしたほうがよいのです。
今日青い服を着るのがよいのか、赤い服を着るのがよいのかで長時間悩むよりも、どちらでもいいのでさっさと決めて出発し、時間を有効活用したほうが人生全体では効率的です。
ただし服を決めることが自分のその日の人生に大きな影響を及ぼしたり、重要なテーマであったりする場合には、時間をかけて吟味することは無駄ではありません。
女性の多くの方や、ファションを大切にしている男性ならば、服の選択に時間をかけるべき価値があると思うのはむしろ当然でしょう。
逆にいえば、自分がいつも時間をかけてしまうことというのは、自分の価値観(重要視していること)を表していると言ってもよいのです。
その価値観が自分にとって有意義な人生をもたらせてくれるというものであるならば、時間をかけてもよいでしょうが、そうでないならば何らかの変革が必要かもしれません。
それは今の自分の状況、結果を見れば自ずと明らかです。
先の服の例で言うならば、それほどの選択の時間をかけている結果、相手からよく思われたとか、仕事でよい影響があったとかならばいいのですが、何もよい成果が得られていないのならば、服に時間をかけることは検討が必要(人にコーディネートしてもらうという手もあります)になります。
もっとも、服を自分でじっくり選ぶのことが何より感情が満足するのだという人や、ファションが趣味や職業だという人はこれは次元の違う話になりすので、決断の問題とは別になります。
とにかく、自分が時間をかけなくていいものまで時間をかけていないか、特に選択の際に自分の価値観とともに見直してみるとよいでしょう。
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