幸せを得るためには。
マルセイユタロットを見ていますと、ここでも何度か書いていますように、全体思考と個別思考の二面をいつも想起します。
それは方向でいえば、上と下、天と地となりますし、表現を変えれば抽象と具体、統合と分離というような言い方にもなるでしょう。
この考え方・見方を知っておけば、何かと便利で整理がつくのですが、それが絵となっている(象徴画の)マルセイユタロットを学べば、さらに知識として実感として、理解することができるようになります。
さて、今日の記事もそうした二面の考え方に基づくものです。
ところで人は皆、幸せになりたいと思っていますよね。
わざわざ不幸になりたいと思って生きている人はほとんどいないでしょう。(心理的には実は「不幸を無意識的に望んでいる」こともありますが、それは今日のテーマではありません)
そうして、皆、幸せになる努力をします。それでも結構何かしらの悩み事はいつもあるものです。
思えば人は、この世界に生きている限り、何も心配や問題がないということは一生のうちではないようにできているのかもしれません。
それでも何も問題はなく、ずっと今も幸せだという方もいらっしゃるでしょう。
ですから「自分もそのようになりたい」と願って、幸せになることを実践したり、学んだりします。
しかし、ここで落とし穴があります。
一足飛びに幸せを願うと、多くの場合、先ほど述べたように、「一切問題が生じない状態」になることを夢見てしまうのです。
家族も家も仕事も経済も趣味も・・・何もかも恵まれて幸せで、まったく心配事や問題はないという天国状態のイメージです。
これは最初の二面思考からすると、天にいきなり昇って、すべてを統合化したような様態です。
言ってみれば、急に範囲が限りなく極大化してしまったのです。
範囲が大きくなれば、その分見るべきあなたの範囲も拡がります。
従って、目についてくること、気になることも当然たくさん増えます。その「たくさん」の事柄すべてに「問題がない」「調和している」と見ることは、まさに神視点(悟り)を得ないと難しいことです。
中途半端に自分が進化したとか、スピリチュアル的に向上したとか勘違いしてしまうと、意識が広がった分、あなたの見るもの(扱うもの)も増えてきて、それをどう処理(調和認識)すればよいのかわからなくなります。
つまり、あなたはまだ大きな全体を見るのには力不足(意識だけが飛んでいる状態)なのです。
そのため、安全なのは、自分の身近な範囲から調和を図っていく、幸せを感じていく、幸せになるということなのです。
「足るを知る」という言葉があるように、自分の今の器において、いかに恩恵に気付き、感謝できるかということが大切になります。
これは二面思考では、地、下の方向性を見ることになります。ですからより具体的でもあります。
ところが、これも面白いことなのですが、一番身近なこと、もっとも具体的で細部なことは、逆にもっとも遠くて大きなものにつながっているということが宇宙の真理(の予想)として考察できるのです。
素粒子の世界の研究が、全体としての大きな宇宙につながるようなものです。
ですから、意外にも夫婦とか親子、恋人同士などのかなり身近な関係の調和が実は難しく、でもそれが調和すれば全体も調和してくるということになるのです。
一番物質的なもの、つまりお金があれば、対極の心や全体としても潤ってくることが言えるのもこの原理で説明できます。だからお金は大切なのです。
精神世界系(に関心がある人)では、いきなり全体性に飛ぼうとしすぎるので、自分の中の調和していないほころびを見つけて、かえって苦しんでしまうことがあります。
それは範囲や対象が(世界とか宇宙とかに)拡大するので、むしろ当たり前のことです。
ですから再び地上方向に意識を向け、お金であれ、身近なできる範囲のことから調和を図り、それができていることを実感すると、自分の幸せも「安全に」拡大していくのだと考えられます。
今日のタイトルは「幸せを得るために」ですが、実は「幸せであると(自分の今の範囲で)知る」ことが重要で、得るのではなく知ることが真の得ることの意味だとわかるのです。
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