「愚者」タイプの人へ。
先日、四国高知に、スタッフとして協力していただいているマルセ氏とともに行ってきました。
これは「旅+タロットお話会」企画として実施されたものです。タロットを習われた方の呼びかけで、大勢の方に集まっていただき、楽しい時を過ごすことができました。高知の皆さん、ありがとうございました。
また今後、全国各地、皆さんのところにもタロットをかばんに入れて参るかもしれません。こうなると、まるでカードの「愚者」ですね。(^^;)
ところで、「愚者」の話が出ましたので、今日はカードの「愚者」に関連する話を書きたいと思います。
「愚者」はまさに「旅」を象徴している絵柄であり、このカードを引く人は、たいてい自由な精神をもっているか、実際に旅や移動を繰り返す人生・仕事であったりします。
もちろん、普通の生活をしている人、ちょっとお固い人物でも、時と場合によって「愚者」のカードを引くことはあります。
言ってみれば、誰にでも「愚者」(の心)は備わっているのです。
ただやはり、明らかに旅や放浪が好きな「愚者」タイプの人と、通常の暮らしをメインとするそうではないタイプの人がいるのも事実です。
どちらのタイプにもそれぞれの良さがあり、いいも悪いもありません。大切なのは、自分がなぜそのような傾向やタイプであるのかを思い、その特質を活かした生き方と貢献を考えることです。
つまり、自分の個性や持って生まれた気質というのは天から与えられたものなので、無理に修正したり、忌避したりするのではなく、いい意味で伸ばすこと、活用することを目指すのです。
「愚者」タイプの人が実際に若くして旅を繰り返し、全国どころか世界中を回り歩くということも珍しくありません。いや、むしろ「愚者」タイプであるのなら、ほぼ必ずと言っていいほど「旅」の遍歴を重ねていることでしょう。
それが自分探しの旅のこともあります。そもそも「愚者」もある目的に従って旅をしており、旅をすること自体が目的ということもあるのですが、それとは別に本当の目標も存在するのです。
それはつまるところ、自分の、人間としての崇高なる完成にあります。
このことをカードから学べば、「愚者」タイプの人ももちろん旅をすることはよいことなのですが、いつまでもふらふらと無目的に続けているのではなく、旅をしながらでもよいので、自分の完成に至る真の目的を発見する、あるいはそうした気持ちを持つことが大切だと考えられます。
そして「愚者」というのは各地、各レベルを探訪している人なので、固定された場所(定住)や考え方(常識)にいる人にとっては、異色な存在となります。
民俗学でも言われていることですが、昔から、ある区域(ムラ)に来訪神(人のこともあり)が現れ、その地域内にインパクト・刺激・外からの情報を与えて去っていくというパターンがあるのです。
これは良いものと悪いものがありますが、いずれにしても既成概念を打ち破る外からの衝撃となります。この意味では、カードでいえば「神の家」や「13」も関係します。
「愚者」タイプの人はこの役割があると自覚することです。いわば、膠着した世の中・人々に自由と解放をもたらすイノベーターであり、教育者でもあるのです。
「何を自分がしたらいいのかわからない」「自分が何者なのか探したい」と言って「愚者」タイプの人は旅を続け、放浪して行きます。
しかし、その旅をする姿そのものがあなたであり、いろいろなことを見聞するために「旅をさせられている」のです。
もうすでにあなたはあなたであるのですが、簡単に「自分」ということがわかってしまえば、旅をしなくなるかもしれないので(笑)、神様はあなたに旅の衝動が起こりやすいよう、人一倍の好奇心と自分探しの欲求を植え付けていると言えましょう。
ここでは横の移動による「旅」について主に言及していますが、それだけではなく、縦の次元の旅をする人もおり、これはその場にいながらも自分の経験(レベル・次元)が変わっていくような人です。こういう「愚者」タイプの人もいます。
ともかく、ずっと旅をしてきた「愚者」タイプの人は、そろそろ立ち止まって、ある「場所」やある「人たち」のところで、あなたの経験したきたことを話す必要があります。
もちろん根が「愚者」のあなたは、そこの場所に安住することなく、再び旅を続けることにはなるでしょう。それはそれでよいのです。
そうしながらも、あなたが旅をしていること、そういう気質であることを振り返り、それを社会や世界に貢献する方法も考えるとよいです。
「愚者」のカードを見ると、「愚者」は決してひとりぼっちではなく、後ろに「犬」がついてきている(あるいは引き留めている)ことを考えると、「愚者」タイプの人にとっては何かの示唆になるかもしれません。
コメントを残す