タロットと数

先週末から東京に出張し、マルセイユタロットの講座を開始しました。


学び熱心でタロットセンスのあるすばらしい受講生さんたちに囲まれ、今後の講義も私自身楽しみになっています。


今までも四国へ行ったり、私のフィールドである関西でも結構遠方まで出向いたりしておりましたが、改めてこういうのもよいなと感じました。何より、講座ができる環境、受けていただく方とのご縁の有り難さが身にしみます。


以前私はタロットの講師になることを考えていた時、「愚者」のようにタロットを袋に入れて(笑)、全国に伝え歩くようなイメージを、それこそ「愚者」のカードの中にイメージを没入させつつ体感していました。タロットを使うと、本当に実現力が増すのですごいです。



さて、その東京での講座の時にもご質問があったのですが、数とタロットとの関係について、少し私の考えとともにお話してみたいと思います。(あくまで私の考えですから、正しい・正しくないと見るのではなく、参考意見として読んでください)


タロット(ここでいうタロットはマルセイユタロットと考えてください)には、「数」を持つカードがあります。そのため、タロットと数の関連は古くから秘伝も含めて研究されてきました。


有名なのは22枚の大アルカナの数と、ヘブライ文字などとの数の符合ですね。


また特に大アルカナにはナンバーがふられていますので、生年月日による計算などによって、数秘術的にもカードと関係をつけられることがあります。


この中のひとつの技法として、計算によるソウルナンバー、パーソナルナンバー、イヤーナンバーを導きだし、それぞれ、その数を持つカードと関係づけるというものがあります。


ここで問題となるのが、まずここで述べられている「数」とはシンボル(象徴)の「数」であるということです。私たちが通常扱っている数字とは異質なものです。


そして、カードの絵柄もシンボルです。


数もシンボル、タロットの絵柄もシンボルなのですが、シンボルというものはまったく同じというものではありません。


ただ同じ根源的な何かを表してはいます。


たとえば、「日本」というものを象徴するものには、「日の丸」もあるでしょうし、「着物」かもしれず、また「刀」かもしれません。


ですけども、それらを単独で見れば、着物からは成人式をイメージする人もいるかもしれませんし、刀からはゲームを連想する人もいるかもしれないのです。


つまり、シンボル・象徴は「何か元なるもの・一つのもの」を想定するとシンボル同士共通しますが、それらがないと、シンボルはほとんどバラバラに想起されてしまうものでもあるいうことです。


これは実はタロットの絵柄と数にも言えることです。


たとえば、「隠者」というカードにはローマ数字で9(表記の関係であえてアラビア数字にしています)という数があてがわれていますが、だからと言って一般的な「9」という「数」が象徴するすべてを「隠者」が表しているわけではないのです。


「隠者」が象徴していることは、確かに「9」という数にもシンボル的に有しているものがあるのですが(その逆もあり)、それがイコールではないのです。(タロットの場合は、数の象徴的な意味だけではなく、単純に順序・番号としての「数字」の意味もあります)


もちろんタロットは、でたらめに数を配置しているのではありません。やはりその数を持つ意味があって数が配当されています。


しかしながら、数そのものをシンボルとしてタロットの絵柄を見ていくと、そこに微妙な違いや齟齬が生じます。(このために、ソウルカードなどの技法に違和感が出ることがあります)


「数」だけではなく、カバラーの生命の木や占星術的配当をタロットにあてはめていくと、やはりなにがしかのずれが見られると思います。(こられを修正・調整するために、数などが入れ替えられたりすることが他のタロットではあります)


いわば、タロットはタロットとして完成されているひとつの「世界」なのです。


宇宙や神、真理の構造を、カードの絵柄と枚数によってモデル化したものがマルセイユタロットだと考えられます。


同様に「数」は数そのもので世界や神を象徴しているのです。


数はそのシンプルさゆえに、もっとも合理的で削ぎ落とされた象徴・シンボルだといえ、だからこそ他の分野にも「数」さえ見い出せれば連関・コラボしていくことも可能になります。


ただし、「数」は逆にあまりにシンプル(つきつめればひと桁の数になります)で、絵もなく文字(数の表記・記号)もあっさりとしているので、いろいろな想像の対象になります。


様々な世界観が数に投影され、混交されてしまうということです。一言でいえばおおざっぱになります。(よい意味では統合性があることになります)


数は計算によって出すことが可能ですので、個別性もあるとはいえますが、その本質は極めて全体的です。


それは誰にでも当てはめることができる反面、個別的・具体的には慎重に本質を見極めないと、ただ表面的な占い判断になるということでもあります。


タロットとの関係に戻りますが、要はタロットと数はある意味、大変共通性を持つと言えますが、ずれや異なる部分もあると認識しておくとよいということです。


ただし、タロットも「数」も、究極的には宇宙や神、真理といった根源に我々が近づくためのツールであり、象徴という点では同じです。


そしてそれは反対に考えれば、根源からの個別表現(タロット・数による分波エネルギー)でもあります。


タロットでも「数」でも、その表現しているものが何なのかを深奥(知識と心)で把握していくと、やがてそれらはあまねく私たちの世界に別の形(表現)で存在していることに気が付きます。


そうなると、タロットも「数」もこの世界をコントロールする(識る)ためのツールであることを発見し、シンクロニシティ(偶然の必然、世界を識る手がかり、ヒント)にも頻繁に遭遇する(もともとあったのですが、見方が変わって意味ある世界に気がついてくるということ)ようになります。


これがタロットや「数」を「使いこなす」ということにつながってくるのです。


「数」で自分の運命や流れ、個性を知ることはその第一歩ですが、あくまでそれはほんの表面にしか過ぎません。


タロットに「数」があるということは、それによって「数」を考えるきっかけ(根源としてはイコールだが、表現としてはイコールではないことに留意)ができるということで、その意味でタロットから見た「数」を活用するとよいでしょう。


その時、「数の表現」と「タロットの表現」とを混同しすぎてしまわないよう注意すればよいのです。

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