成功法則を使う前に。
世の中には、それこそ星の数こそ成功法則や幸せになる方法が披露されています。
占いなどもそのひとつであり、私のやっているタロットも、使い方によってはそれに通じるところもあります。
しかし、あくまで個人的見解ですが、ここで注意しておかねばならないのは、成功や幸せといった概念とその状態は、万人にあてはまるものではないということです。
幸せや成功の価値観は時代によっても変わりますし、その人がどう感じるかによってもその状態(成功や幸せと思う状態)は変化します。それはこのブログでも何回か伝えてきたことです。
そこで逆説的なのですが、いったいどういう状態になれば人は普遍的に(万人とって)幸せといえるのであろうか?と考えてみることも悪くはありません。
するとどうなるかと言えば、どんどんと自分の考えや思いが上に(抽象的に)向かっていきます。
最初は自分一人の幸せや成功とは何かを考えますが、次にパートナー・家族との幸せとは? 仲間や地域の人の幸せとは? 国の人々の幸せとは? 世界の幸せ、宇宙の幸せ、神の幸せとは?・・・と言う具合にどんどんと範囲を拡大していくのです。
そうしますと、これは私個人の思考の結果ですが、結局、最終的には「自分」(の幸せ)に戻ってくるのです。
不思議なことですが、実際ほとんどの人はそうなるのではないかと思います。(「ウロボロスの蛇(尻尾をかんでいる蛇の図)」がイメージできます)
またマルセイユタロットやカバラー、アストロロジー(占星術)、あるいは易など、今では「占い」の技術といわれているこられのものを深く学んでいくと、今述べた究極的な「幸せ観」というものが洞察できるようになってきます。それが何なのかはわからなくても、それに近づくことができるのです。
なぜならば、こうした技術は本来象徴によって物事、ひいては宇宙を理解する仕組み・モデルだったからです。宇宙の象徴ですから結果的に占いにも使えるというわけです。逆にいえば、それだけ優れた象徴体系であり、ツールなのです。
「○○の法則」「占い」などで、自分の幸せを求めよう実現しようという気持ちと行動はよくわかります。
しかしながら、人として目的意識をもっと崇高に、高次にもたなければ、それは反対に技法によって自分自身が支配されることになります。
それは自分が相手や何かと比べて劣っている、満たされていない、足りていない、追加しなくてはならない、変えなくてはならないという発想が元になっているからでもあります。
結局のところ、巷であふれる成功法則・方法などによって、他人の成功や幸せを自分にダウンロードしたり、仮想したりすることと同意義になってしまうのです。
そうではなく、もともと人は完全であり、その神性の部分を有する自分を思い出していくという視点でもって、自分に周囲の環境のほうがなじんでいくという見方をするのです。
何かを人や周囲から得る(奪う・追加する)のではなく、自分を完全にすることに目覚める、自分自身を調和させるということでもあります。
その視点で行うのならば、知識を得ることも技術を学ぶこともOKだと思います。この意味では、先述した誰かの幸せ・成功をモデルにすることも、過程としてありうることになります。
つまり他人そのものになるのではなく、完全な自分自身になるための触媒とすることはOKだということです。
これこそがマルセイユタロットの「悪魔」に通じます。だから「悪魔」は「世界」という完全を象徴する状態の一過程になっているのです。
このことはアストロロジーでもカバラーでも同じだと私は考えています。古代哲学、象徴体系を学ぶ意義はこのようなところにもあるのです。
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