年齢と時間の不思議
マルセイユタロットカードには、若い人物が描かれているカードや、逆に年老いたように見える人物が載っているカードなどがあります。
宮廷カードと呼ばれる組は、まさに人物だけしか描かれていないので、年齢的な目線で見てみるのも面白いかもしれません。
それにしても、年齢というものは不思議です。
歳は確実に一年が経過する度に、ひとつずつ増えていきますので、万人に共通の規則で例外はありません。あの人は一年で二歳年取り、私は0.5歳年取るとか、そういう個別性がないのです。
しかし、精神的にはそれがあるような気がしませんか?
同じ年なのにAさんとBさんとではまるで見た目が違うとか、同じ人でも、ある一年でとても老けてしまったように感じることもあれば、一年で若返ったみたいなこともあります。
もちろんこれらは、肉体的・健康的な気遣い、経験などで異なってくることはわかりますが、やはり精神的なことも大きく影響しているように感じます。
よく「気が若い」という表現をしますが、気持ちが若々しく、新しいことや様々なことに好奇心を抱き、活動的な人は若く見えます。
反対に非常に保守的になり、まだ比較的若いのに「人生はもう終わり」「何も楽しみがない」・・・というような気分の人は、その通りの終末のような年老いた風体・雰囲気を醸し出します。
先に、「年齢は万人に等しく時を刻んでいくもの」と言いましたが、同じ年齢でも見た目が実際に異なってくるのは、単に肉体的なことではなく、精神的なことが関係していると推測され、そうなりますと、万人に等しい時間とは別の時間があるのではないかという思いも出ます。
マルセイユタロットでは「運命の輪」というカードがあり、このカードは時間をひとつには象徴していますが、このカードを理解していくと、時間というものが誰にでも共通する普遍的な時間と、人それぞれに流れる個別的な時間のようなものがあることがわかってきます。
面白いことに、「運命の輪」の数はマルセイユタロットでは「10」(本当の表記はローマ数字ですが、文字化けの可能性もあるため、算用数字で示します)ですが、その両隣の「9」と「11」を持つカードは、それぞれ「隠者」と「力」になっています。
「隠者」は年老いた知者を示し、「力」は若い女性を想像させる絵柄となっているのです。これがどういう意味なのかは皆さんで考えてみてください。
いずれにしても、どうやら物理的な時間とは別に、精神時間と呼んでもいいものがものがあることはイメージできるのではないでしょうか。このことは実は古くから知られていました。伝統的なタロットであるマルセイユタロットにそれが象徴されているのも、ある意味当然なのです。
さて、そうしますと、個々の人に別の時間があることになります。
もちろん万人共通の物理的な時間もあるので、誰もが老いや最終的な死から逃れることはできませんが、自分の過ごし方・思い方によっては精神的な時間は速くもなったり、遅くもなったりするわけです。
一般的に、「つらい」「嫌な」「苦痛の」状態を過ごしていると、長時間に感じます。逆に「楽しい」「面白い」わくわくする」という思いの時はあっという間に時間は過ぎます。
ただし、これは意外に欠落しがちの視点ですが、あまりにも「楽(退屈)」な時間は、苦痛に近く、長時間に感じるということも覚えておいたほうがよいです。
先述したように、万人には等しい物理的時間が流れていますので、その時間としては、たとえば時計で一時間経過したならば、やはり誰もが一時間を過ごしたことになります。
ところが、その一時間がとてもつらかった人は長い精神時間を過ごし、楽しかった人は短い精神時間を過ごしたことになるでしょう。
ということは、つらい人は同じ一時間でも「自分が感じた分」だけ精神的には長く時を過ごしたことになり、たとえばそれが一年にも感じれば、心では一年もの時間が経過した感覚になるわけです。
ところが反対に楽しい時と思っていた人は短くなりますので、わずか一時間でも10分程度しか感じていなかったかもしれません。ですから毎日が楽しいと感じている人は、それだけ老けにくくなる(感覚的に物理的時間より短い時を過ごしている)わけです。
ここに精神時間による、若さや老け具合の秘密があるように思います。
単に若さや老いのことだけではありません。
精神時間的に短く感じていると、それだけ物理時間に比して長く生きることになります(一時間が10分しか感じられないと、感じた一時間は物理時間の6倍になります)ので、まるで精神的には何倍もの人生時間を生きているようなことになります。ということは経験が豊富にもなってくるでしょう。
若い人の中でも、経験豊かな智慧を持つように感じる人がいるのも、その人が内的には長くなるような時を過ごしてきたからだとも考えられます。
このようにふたつの時間の視点を持つと、自分がどう生きればよいのかということについて、普段とは違ったもので見えてくるでしょう。
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